プロに入って最初に憧れ、男として惚れた大先輩。それが土橋の“兄ちゃん”だった【張本勲の喝!!】
長靴を履いてテストへ
筆者[右]と“兄ちゃん”こと土橋正幸
今回は土橋正幸さんについて書いてみたいと思う。1935年生まれだから、私より5歳年上になる。私は球場では「土橋さん」と呼んでいたが、ユニフォームを脱いだときは親しみを込めて“兄(あん)ちゃん”と呼んでいた。だからここでも兄ちゃんと書かせてもらう。 兄ちゃんは1955年に投手として東映に入団した。2年目まで勝利を挙げていないが、3年目にプロ初勝利を飾ると4年目は21勝をマーク。その年の西鉄戦では9連続奪三振の記録も残している。これは梶本隆夫(阪急)さんと並んで今でも日本記録だ。私が東映に入団した59年の5年目は27勝を挙げ、押しも押されもせぬチームのエースだった。 最初は正直、怖い先輩だなと思っていた。ところが私はなぜだか兄ちゃんから気に入られ、可愛がられた。寮生活は私が2階で兄ちゃんが1階。兄ちゃんは同期で捕手の安藤順三さんと同部屋だったが、安藤さんはお酒を飲まないから、いつも私が晩酌の相手となった。 入団1年目、19歳の私を初めて銀座に連れて行ってくれたのも兄ちゃんだった。大きな体に五分刈りの頭。胸板が厚く、アロハシャツがよく似合う人だった。男らしくて格好いいから、どこに行ってもよくモテた。兄ちゃんは私にとって憧(あこが)れの存在だった。 兄ちゃんの実家は魚屋だった。魚屋の次男坊として長靴を履いて家の仕事を手伝う傍ら、野球を楽しんでいたという。ただし硬式ではない。浅草にあったストリップ劇場の「フランス座」が持っていた軟式野球チームに所属していたのだ。兄ちゃんはそこのエースだった。 面白い話がある。プロ野球選手になれば魚屋よりも給料を稼ぐことができそうだと、友人とともに東映のテストを受けに行った。東映の本拠地でもある駒澤球場に現れた兄ちゃんは・・・
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週刊ベースボール