大きな負は、大きな正をもたらせる「ブルースの魂」 B.B.キングを育てたアメリカディープサウス
B.B.キングは1925年アメリカ南部に生まれた。そこは、奴隷制度を推進し、連邦を離脱して南北戦争を引き起こした保守的な場所で、今も貧困層が多いエリアだ。私はそんな南部を、ゴスペル取材のために旅したことがある。ニューオーリンズからミシシッピ川に沿って、南北戦争の激戦地ビックスバーグに向けて北上した。選んだ道は、ルート61。ブルースハイウエーと言われるその道を走り、ルイジアナ州からミシシッピ州に入ると、様相がまったく異なるいくつかの小さな町に出会った。 【写真】「究極のブルースは愛する人に捨てられた時さ」マンス・リプスカム「ブルースの魂」の一場面
貧富の明暗がくっきり分かれるディープサウス
昼だというのにどの店も閉店中でだるそうに眠り込んだ黒人の町。バルコニーに花を飾る小奇麗な白人のホームタウンがあるかと思うと、その横にスラム化した黒人のゲットーがあったりする。綿花畑では数百年前と変わらず、黒人の男たちが綿花を摘み取っていた。トラクターで摘み取るたびに、白いコットンは湿気でまどろむ南部の空に舞い上がった。 ルート61では、綿花で財を築いた大富豪の屋敷にも出くわす。オークの並木道が敷地の奥へ続き、背伸びをしても屋敷が見えないこともある。それに比べたら、映画「風と共に去りぬ」に出てくるお屋敷なんて小さなものだ。南部の農園主たちの富豪ぶりにあぜんとしていると、次に寂れた修理工場や売店、屋根のトタンが外れた廃虚同然の家々が目に飛び込んでくる。富と貧困の明暗がくっきりと分かれたアメリカ南部、ディープサウス。肥沃(ひよく)な大地から湧き上がる生気と虚脱感が一緒くたになったルート61は、人種差別の激しさを十分に物語っていた。ブルースの巨人、B.B.キングが生まれたのはこうした環境だった。
ブルースの王者が誕生して100年
映画「ブルースの魂」の中で、B.B.キングはこう語る。「子どもの頃からミシシッピの綿花畑で働き、教会ではゴスペルを歌っていた。ある日、ブルースを歌ったら一晩でいつもの何倍も稼げたんだ」と。彼は、幼少から教会でハリのあるパワフルな歌い方を身につけ、ある日、プランテーションを飛び出して、メンフィスでいとこのブッカ・ホワイトからブルースギターを学び、1949年にデビューを果たす。 1950年代に数々のヒットを飛ばし、1970年45歳で名曲「Thrill Is Gone」(原曲:ロイ・ホーキンス)でグラミー賞を獲得。翌年にはロンドンの音楽シーンをけん引したアレクシス・コナー、ピーター・グリーン、リンゴ・スターなどと共にご機嫌なR&Bアルバム「In London」をレコーディングしている。ジェフ・ベックやスティービー・レイボーンとよくコラボし、エリック・クラプトンにビブラートの影響を与えたB.B.キング。タイトなリズムセクションをバックに、キレのあるギターを弾き、タキシードでリムジンのオープンカーに乗るイカしたブルースの王者が誕生して100年になる。