『海に眠るダイヤモンド』はなぜこんなにも“美しい”のか 視聴者の心に“花”を植える物語
「山桜」の象徴するものが『海に眠るダイヤモンド』の「核」
そして「花」。第2話で朝子が鉄平に、花見がしてみたいと語り、「コンクリートで固められた端島には緑がない。そのぶん島民は花や緑を渇望している」というナレーションが流れる。朝子は行商のおばちゃんからもらった売れ残りのトルコキキョウを、初恋の人・鉄平との思い出が詰まったラムネの空き瓶に大事に活ける。 「孤島の花」とタイトルされた第3話で鉄平は、本土から中之島に1本だけ移植された桜の木を見にいこうと、朝子を誘う。「すごか。夢が叶うた」と嬉しそうに話す朝子から、2018年のいづみへとシーンが移る。いづみは、自宅の屋上に植えた桜の木を見つめながら、「もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし」という一首を諳んじ、玲央に語りかける。 「ともに懐かしんでおくれ、山桜よ。お前以外に本当の私の心を知ってくれる者はいないのだから。あんたが私をわからなくても、私があんたをわかってやれなくても、それは仕方がない。誰の心にも山桜があるんだ」 この「山桜」の象徴するものが、おそらく本作の「核」であろう。第1話の、観光船が端島に近づいたところで観光客たちと玲央が言った「廃墟」という言葉に対するいづみの、「廃墟なんかじゃない」という、絞り出すような声。ここを出て以来、何十年かぶりに見る端島の前で上げた、いづみの慟哭。 今世紀に入って起こった「廃墟ブーム」で有名になった通称「軍艦島」には、「端島」という正式な名前がある。それを、このドラマを観て初めて知った視聴者も多いのではないだろうか。いづみをはじめ、端島に暮らした人々にとってここは「軍艦島」でも「アミューズメント施設としての廃墟」でもない。この島にはかつて確かに、人々が暮らし、それぞれの人生があったのだ。第三者からは計り知れないそれぞれの想い、生身の人間の気持ち、つまり「山桜」があったのだ。 現代のいづみと玲央が乗る観光船から、1955年に鉄平が長崎から端島に帰ってくる船へとつながるシーンのあと、灰色だった端島が鮮やかに色づいていく。全国津々浦々のロケ地と精巧なオープンセットで撮影されたシーンに最新のVFX技術を組み合わせて作られた、みずみずしく躍動感あふれる映像。これは、このドラマが訴えたいことそのものだろう。 「かつて確かにそこにいた人々」の暮らしと人生を、カラフルに甦らせる。戦争と、高度経済成長期におけるスクラップアンドビルドに翻弄された人々の人生を、なかったものにせず、現代に刻みつける。消費して終わらせない。これが『海に眠るダイヤモンド』の本懐ではないだろうか。 「緑なき孤島」で花を愛でていた朝子は、どんな人生をたどって大会社の社長になったのだろうか。第3話で、屋上の桜の木を前にいづみの口から発された「うちの会社が施工したの」という言葉から、いづみの会社は造園に関連する業種と思われる。ちなみに史実では、第5話時点の時代設定である1958年から数年後、端島に日本初の「屋上農園」ができて、島の緑化運動が進められていく。この史実もきっと、物語に活かされていくことだろう。 端島に暮らして、生きて、心の「ねっこ」はそこに残しながら、閉山とともに島を離れた人たち。彼ら彼女らは、確かにそこにいたのだ。そして今も、全国に散らばった「元島民」がいる。この物語を「消費して終わらせない」という思いは、タイパ重視、展開の派手さのみに重きを置く昨今のエンタメの潮流に杭を打ちこみ、視聴者の心にいつまでも残る「花」を植えようという、作り手によるレジスタンスなのかもしれない。 参考 https://www.gunkanjima-museum.jp https://www.gunkanjima-excursion.com
佐野華英