2WDと4WD、どっちが本当の911なのか? 世界最高、最速の、ポルシェの絶対テスト・ドライバー、ワルター・ロールに聞いた!【エンジン・アーカイブ「蔵出しシリーズ」】
20世紀ベストのラリー・ドライバー、ワルター・ロールが語る911
ご存じ中古車バイヤーズ・ガイドとしても役立つ雑誌『エンジン』の過去の貴重なアーカイブ記事を厳選してお送りしている人気企画の「蔵出しシリーズ」。今回は、2009年1月号のポルシェ911特集の企画として掲載されたポルシェのテスト・ドライバー、ワルター・ロールのインタビューを取り上げる。ワルター・ロールは、PDKを得た997型911についての我々の質問のすべてに答えてくれた。まさしく保存版のインタビューだ。 【写真20枚】ポルシェの伝説的テスト・ドライバー、ワルター・ロール氏の自宅を訪ねた貴重な写真、プライベートカーの911が収まるガレージとは? 詳細画像はこちら ◆ENGINE 2009年1月号「ポルシェの絶対ドライバー、ワルター・ロール」 「20世紀最高のラリー・ドライバー」といわれるドイツ人、ワルター・ロールに会いに行った。かれこそが、いまの911の、隠れもない調理人だからだ。悪魔のニュルブルクリングで、悪魔のような無慈悲な高速テストを繰り返し、911を常人の及ばぬ速度領域の試練にかけるワルター・ロールは、911をいかに語るのか? ◆スキー・リゾートへ クルマ好きのあいだではBMW3シリーズの工場があることで知られ、旅行好きには世界遺産の旧市街地が有名なバイエルンの古都、レーゲンスブルクから、チェコとの国境方面にさらに東へ50kmほど行くと、そこは背の高い針葉樹が密生する深い森のなかだ。蛇身のようにうねりながら、道が次第に高度を上げていく。 10月下旬のまだ真っ暗な朝6時すぎ、僕はPDK付きの真っ赤な新型ポルシェ911カレラ・カブリオレに乗り込んで、ミュンヘンのホテルを出発した。めざす人が住むこのあたりは、ドイツでは有名な「サンクト・エングルマー」というスキー・リゾートに近い。PDKを得た911カレラは、右に左にステップすることじたいを愉しむダンサーのように、リズミカルに、すべらかに、スッスッと向きを変える。 4速、ちょっとだけブレーキング、そしてステアリングに付いたスイッチで3速にダウン・シフト、背後のフラット・シックスのノイズが高まったのを耳にして、つとめておだやかにステアリングをまわしはじめる。同時に、ちょうど尻のあたりを軸にして、最新の「絶対スポーツカー」が回転運動をはじめ、身体が遠心力に引っ張られる。この瞬間がカタルシスだ。車載のナビに喚起されなかったら、そのまま通り過ぎてしまったかもしれないぐらい運転にふけっていた。そして、通り過ぎてもおかしくなかったぐらい、その人の住む村は小さかった。 約束の9時までまだ40分以上を残して、僕たちはその村の、教会のある坂道に着いた。すぐそばのガソリン・スタンドで911カブリオレに給油する。金曜の朝、スタンドの斜め前のパンとケーキも売るレストランが早くも開いていた。ドイツ人は朝が早い。多くのドイツ人にとって、朝一番の仕事は、焼きたてのフレッシュなパンを買うことだ。僕たちは、売り場裏側のレストランでコーヒーとおいしいパンをとった。 「その人」とは、ワルター・ロールである。1970、1980年代を通じて、世界ベスト・オブ・ベストのラリー・ドライバーとしてフィアット、オペル、ランチア、フォード、BMW、アウディ、ポルシェに数多くの勝利をもたらし、1988年からはサーキットでもスーパー・ドライバーの技量を見せつけたバイエルン人。8年前、54歳のときに、緑ゆたかなこの地に家を建て、近くのもう少し大きな町から越してきた。 ◆バイエルン・ハウス 9時きっかり、僕たちがちょうど門前に立ったとき、気配を感じたのか、ワルター・ロールは呼び出すまでもなくドアを開けて現れた。1980年にはフィアット131アバルトで、1982年には4WDを武器にしたアウディ・クワトロに時代遅れのオペル・アスコナ400でたたかって、世界ラリー選手権(WRC)ドライバーズ・タイトルをかちとった男。ラリー界の「キング」といわれ、ニキ・ラウダをして「運転の天才」と激賞せしめ、イタリアとフランスの専門記者の投票で、「20世紀ベストのラリー・ドライバー」にえらばれた男。1993年からは、ポルシェの絶対的テスト・ドライバーとして、地獄のようなニュルブルクリングのオールド・コースをだれよりも速く走り、絶対スポーツカーの進化を担ってきた男。その男が「グッド・モーニング!」といって破顔していた。身長196cm――、声が頭の上から聞こえた。 「これは典型的なバイエルン・スタイルです。空気のきれいなところで暮らしたかったので、ここに家を建てたんです。ワイフのモニカは毎日、レーゲンスブルクに通っています。じぶんのビジネスをやってますからね。今朝も911のカブリオレに乗って、もう出かけてしまいました」 「典型的なバイエルン風」というのは、大きな屋根にスタッコとウッドによる外壁を持つ外観と、縦長の木枠窓を連続させて外光をふんだんに取り入れた屋内、そして仕切らない開放的な内部空間、というようなキイワードを持つ家のことらしい。僕たちのほかにはだれもいない。開放されたいくつもの窓から侵入してくる微風が部屋をめぐるだけだ。 すると、ネコが顔を出した。 「リーザというんですよ」 ワルター・ロールがはじめてラリー競技に出場したのは1968年、21歳のときだが、モニカとはその数年前に知り合った。当時、ワルターが打ち込んでいたボート競技のクラブでだった。かれらは10年あまりの交際を経て1978年に結婚するが、子どもはいない。 「ラリーで忙しかったということもあったが、子どもができたら大きなリスクを犯さなくなるのをおそれた。モニカはわかってくれた。そして1987年にラリーをやめたときには40歳だった。もう遅い、とおもった」と、ワルターはドイツ人ジャーナリストとの共著の自伝(“Walter Rohrl Diary”)で述べている。「リーザ」は子どもなのかもしれない。 ◆ポルシェ最初の4WD 「ポルシェの開発にはじめて関係したのは1982年でした。私がオペル・アスコナ400でWRC(世界ラリー選手権)のチャンピオンになった年。1月下旬の第1戦、モンテカルロ・ラリーで勝ったすぐあと、ヴァイザッハの開発のトップだったヘルムート・ボット教授から電話があったのです。4WDのポルシェを一緒に開発したい、という。私はモンテカルロからオーストリアに直行して4日間、ポルシェ初の4WDをドライブしました。アウディ・クワトロと比較しながら」 それはヴァイザッハが911をベースに1台だけつくった実験車だったという。その年からWRCは、連続する12カ月にベース車200台を生産すれば出場できる「グループB」カテゴリーが設けられていた。戦場が、アウディ・クワトロを筆頭とするスーパーパワーの「グループB」4WDモンスター・マシン一色になるのは翌1983年からだが、1982年のワルター・ロールは、「グループ4」(連続する24カ月に400台のベース車を製造)カテゴリーの後輪駆動車、オペル・アスコナで不利なたたかいをたたかい、アウディに勝った。 新テクノロジーによる新次元の戦闘がはじまったこの時期、ランチア、フォード、プジョー、MGなどのメーカーが次々マシンを開発しはじめ、WRCは空前の盛り上がりを見せようとしていた。そんななか、ポルシェも新マシン開発を構想し、ワルター・ロールの助力を要請したのだ。 ワルターは前年10月のWRCサンレモ・ラリーに、ポルシェ911SCで出場し、最後の最後でドライブシャフトの破損によってリタイアするまで、アウディ・クワトロと熾烈なトップ争いを演じた、という実績をもっていた。ボット教授がワルターに電話したのは不自然なことではない。この試作車は、1985年にデビューする959の遠い祖先である。その85年、ワルターはアウディのドライバーだったが、「3、4カ月に一度ぐらいの割合で、ニュルブルクリングでポルシェ959をテストしていた」という。「959はとても運転しやすいクルマでした。重いエンジンが後ろにあるため、コーナーでスピンするのが宿病だった911も、電子制御の賢い4WDを持つ959では、スピンしないクルマになったんですね」。 ◆最初のポルシェ 1987年、ワルターはラリーを本格的にはじめたときからの予定通り、40歳になったのを機に、惜しまれながら引退する。そして、1992年まではアウディで開発ドライバーとしての仕事をメインに据えた。「アウディとの契約を打ち切った1週間後、電話がありました。ポルシェからでした。開発ドライバーになってくれないか、と」 ポルシェはワルターにとって12歳のときからのあこがれのクルマだった。かれの10歳上の兄が、そのころポルシェ356の高性能モデル、スーパー90を手に入れたのだ。 「兄はいいました。いつかクルマを買いたくなっても、ヘタなクルマは買っちゃダメだ。いいクルマを買えるようになるまで待て、と」 兄の助言にしたがい、16歳のときからはじめたレーゲンスブルクの教区担当財務官の秘書兼運転手の仕事で得たお金を貯金して、かれは20歳のとき、はじめてのクルマとして356スーパーを買った。 「それは正しい選択でした。3、4年のあいだそれに乗ってましたが、ガソリンさえ入れればいつでもどこでも行けました。その後、フォードとドライバー契約をすると、911に乗り換え、以後、911を持っていないことはありませんでした」 そんなかれに、ポルシェからの誘いを断る理由はなかった。ニュルブルクリングを主舞台にしてポルシェを開発する日々に明け暮れる第2の人生が、こうしてはじまった。 では、訊こう。2WDと4WD、どっちが本当の911なのか? 「カレラ4、つまり4WDヴァージョンが登場するまでの911の最大の強みは、それがリア・エンジンであるがゆえに、つねに強力なトラクション(駆動力伝達能力)を発揮できる、という点にありました。敵はいなかった。それはいまもそうです。しかし、高速で走ると、4WDの方がスタビリティが高いし、イージーにドライブできる。だから、冬でも雨でも毎日乗る人にとっては、カレラ4をえらぶのが常に正解です。いまのカレラ4なら、運転していて後に重いエンジンがあることを感じません。ひどいアンダーステアもない。私のふだんのクルマはカレラ4Sです。それはエンジンのパワーを、どんなときでも使い尽くす可能性を買った、ということです。パワーを使いきれるというのはすばらしいことです。911の4WDなら雪道でさえ、スロットルを踏めば踏んだぶんだけ前に進む。ホイールスピンが収まるまで待たなくていい。かつてなかったすばらしいことです」 ◆2WDのカレラ/カレラSの存在理由とは? PDK+4WDの登場でMT+2WDは不要になるのか? 「ワルター・ロールが語る911ドライブ」のすべては、ENGINEWEBでご覧いただけます。 文=鈴木正文(ENGINE編集部)写真=矢嶋 修 Archive: Fiat, Lancia, Audi, Opel, and Porsche (ENGINE2009年1月号)
ENGINE編集部
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