驚愕…! 五重塔の大黒柱は「地面から浮いていた」…だから、大地震でも「倒れない」奈良時代から培われた「超」技術
宙吊り心柱構造の歴史
現在の法隆寺五重塔の心柱は基壇上の石組みで支えられているが、当初はそこから約2.7メートル下の地中に据(す)えられた心礎(礎石)の上に、掘立柱(ほったてばしら)式に立てられていた。大正15(1926)年、腐朽して空洞化した心柱の土中部分の下の心礎上面の舎利孔(しゃりこう)が発見され、そこに舎利容器一具が安置されていることが判明した。 ともあれ、心柱の下部が空洞化していた、という事実は、心柱が五重塔の荷重を支えていないことの証左である。 法隆寺の心柱は地中の心礎の上に立つ掘立柱であったが、その後に建てられた薬師寺東塔、西塔、醍醐寺や東寺の五重塔の心柱は、いずれも地上の礎石の上に立てられたものである。また、平安期から鎌倉期にかけては、塔の初重の梁(はり)の上に立てられる構法の木塔が多くなる。平安時代に建てられた京都・一乗寺、浄瑠璃寺の三重塔、鎌倉時代初期の京都・海住山寺の五重塔などに、この構法の例が見られる。 江戸時代後期になると、なんと心柱を上層の肘木(ひじき)や土居桁(どいげた/梁)から吊り下げる、いわゆる“宙吊り心柱”の構法が出現する。上野・寛永寺、日光東照宮、香川・善通寺、山形・善寳寺(ぜんぽうじ)の五重塔などが、この“宙吊り心柱”の構法を採用している。私は2016年に善通寺五重塔にも登らせていただき、その宙吊り心柱を実際に見た。***
想像を絶する驚き
図「青龍寺五重塔の心柱」の青森・青龍寺の五重塔の心柱が、この“宙吊り心柱”なのである。 幸い、青龍寺の織田隆玄住職とその五重塔を建てた大室勝四郎棟梁の協力を得て、その“宙吊り心柱”をつぶさに観察・調査することができた。木塔建築技術に関して門外漢の私にとって、総重量4.5トンもの巨大な心柱が、あの五重塔の中で宙吊りにされているのは想像を絶する驚きであった。 青龍寺五重塔の宙吊り心柱の各部の写真を図「青龍寺五重塔の宙吊り心柱」に示す。