驚愕…! 五重塔の大黒柱は「地面から浮いていた」…だから、大地震でも「倒れない」奈良時代から培われた「超」技術
あの時代になぜそんな技術が!? ピラミッドやストーンヘンジに兵馬俑、三内丸山遺跡や五重塔に隠された、現代人もびっくりの「驚異のウルトラテクノロジー」はなぜ、どのように可能だったのか? 現代のハイテクを知り尽くす実験物理学者・志村史夫さん(ノースカロライナ州立大学終身教授)による、ブルーバックスを代表するロング&ベストセラー「現代科学で読み解く技術史ミステリー」シリーズの最新刊、『古代日本の超技術〈新装改訂版〉』と『古代世界の超技術〈改訂新版〉』が同時刊行され、続々と増刷されています! 【画像】大坂城再建のためだったが…放置された石に遺る「石工たちの技」の跡 それを記念して、両書の「読みどころ」を、再編集してお届けします。今回も前回に引き続き、奈良時代以来、日本で培われてきた伝統の“高層建築”について見ていきます。
無惨な姿に…それでも倒れなかった
前回の記事で、数百に及ぶ木塔が破壊された歴史がある中、「地震によって倒壊した例」がほとんど皆無であるということを述べた。地震国の日本にあって、木造の高層建築物である木塔が地震に倒されたことがほとんどない(一説には、過去2例)というのは驚くべきことだ。 大正10(1921)年、6基の五重塔について震動測定実験を行った東京帝国大学地震学教室の大森房吉教授は、「五重塔を倒すほどの地震は存在しない」と報告している(上田篤編『五重塔はなぜ倒れないか』、新潮選書、1996)。 約96メートルの高さの東大寺七重塔、約81メートルの高さの法勝寺八角九重塔が、奈良・京都の都にそびえ立っていた頃、その地域を襲ったマグニチュード6以上の地震は約20回に及ぶ(国立天文台編『理科年表』丸善)。それらの大規模地震によっても、古都にそびえる木塔は倒れなかった。 鴨長明が『方丈記』に記す文治元年(1185)年の京都を襲った大地震は、特に白河界隈に大きな被害を与えた。白河にあった法勝寺も大きな被害を受け、周囲の築地塀(ついじべい)がすべて倒れ、諸門、金堂の回廊が倒壊し、阿弥陀堂も大破した。九重塔も相輪(塔の先端部)が折れ、屋根がすべて落ちるという被害を受けたが、塔自体が倒壊することはなかった。 大正12(1923)年9月1日、関東地方から広域を襲った「関東大震災」の際には、25万4000余の家屋が全半壊したと記録されているが、このときも木塔は1基も倒れていない。 未曾有の被害をもたらした2011年3月11日の東日本大震災の際にも、仏塔が倒れたという報告はなかった。 歴史上、日本の木塔が地震で倒れたことは皆無といってよい。暴風で倒壊した例もなく、木塔の崩壊は、火災による焼失がほとんどなのである。前述の法勝寺八角九重塔も火災による焼失であった。 その焼失のようすは、14世紀後半に成立した『太平記』巻第二一に詳しく記録されている。塔そのものの記述も含まれ、非常に興味深い。法勝寺の八角九重塔が、民家の失火から飛んできたほんの小さな火の粉のために焼けたようすが臨場感あふれる筆致で書かれているのである。このとき、華頂山知恩院の五重塔、醍醐寺の七重塔も同時に焼けたようである。