岡本多緒(TAO)トップモデルからハリウッド映画のヒロインに「憧れのヒュー・ジャックマンに会いたくて」
■「TAOヘアー」でブレーク!トップモデルに
2009年、多緒さんはニューヨークに拠点を移し、のちに「TAOヘアー」として知られることになるマッシュルームカットに。デザイナー、フィリップ・リム氏に見出され、ニューヨーク・コレクションでは、出演するモデル全員を「TAOヘアー」にするという演出も。 トップモデルとしてブレークする。 「ずっと長かったロングヘアーをバッサリ切った半年後、最後の望みをかけてニューヨークに渡りました。 というのも、アジアのモデルさんにはいろいろな国の人がいて、それぞれの個性があり、かつ日本人は当時まだ私ぐらいだったので、そこにモデルとしてのアイデンティティも強く持っていたのですが、欧米では結局見分けがつかないから、『これは私じゃなくても、アジア人であれば誰でも良かったんじゃないのか?』という気持ちになってしまうような仕事が多くて。それがすごく嫌だったんです。 だから、市場が考える、いわゆる“アジア人のルック”をなくしたらどういう風になるんだろうかと、あのヘアースタイルでニューヨークに行くという選択をしたんです。 その時にちょうど中性的なモデルが流行っていたり、中国経済がウナギ登りしている時だったので、アジア人のモデルの需要自体もすごく増えていたんですよね。そこにばっちりタイミングが合って、本当に救われたという思いでした。 それまで日の目を見ないというか、ウツウツしていた時間が長かったので、こんな奇跡的なことが自分に起こるんだ…と、すごくうれしかったです」 ――その変化はすぐにわかりました? 「はい。まず、ニューヨークで仕事をはじめるにあたって、現地の事務所と契約をしなければいけないんですが、周りのモデルさんたちには、それをアシストしてくれるスタッフさんがいて、すでに約束を交わしてから渡航する人がほとんどだったんです。私にはそういった頼りがいなかったので、自分でアポを取ったり、アポなしで行ったりして…。 そんな中で、ずっと入りたいなと思っていた第一志望の事務所に行ったら、『すごくいいね。じゃあ、やろうか』と即答してもらえたんです。 その返事をもらった後、まだふわふわした気持ちのまま地下鉄に乗ってブルックリンの家まで帰るんですが、電車がブルックリン橋を渡るので一瞬地上に出るんですね。 橋にさしかかったその時に、すごく綺麗な夕日が窓から差し込んできたんです。とても厳しかった氷河が雪解けしていくような感覚を全身で覚えました。『何かまだよくわからないけど、私はイケるかもしれない』みたいな。電車の中で、ワクワクが止まらなくなったのを今でも鮮明に覚えています。 これまで、ストレートに『いいね』とか『イケるよ』と言ってもらえたことがあまりなかったので、素直にすごくうれしかったです。 そしてその後、フィリップ・リムが、ショーのオープニングに抜擢してくれて。彼が、他のモデルさんを全員私の髪型で登場させるという演出をやった時には、すごく話題にしてもらえました。 そこからヨーロッパのショーにも順調に行けたし、アジア人として初めてラルフ・ローレンの広告に起用してもらえたり、他にもいろいろなキャンペーンの仕事が舞い込んでくるようになりました」 2009年、第52回FEC賞FECモデル・オブ・ザ・イヤーを受賞。シャネル、エルメス、ルイ・ヴィトン、ジバンシーをはじめ多くの有名ブランドのショーに出演し、世界各国の「VOGUE」など国際的な雑誌に登場。 「下積みの10年間だったので、やはり認めてもらえたということがすごくうれしかった。大きな自信にも繋がりました」