岡本多緒(TAO)トップモデルからハリウッド映画のヒロインに「憧れのヒュー・ジャックマンに会いたくて」
■19歳の時に単身パリへ
2006年、多緒さんは19歳で単身パリに行き、パリコレ、海外コレクションに参加することに。 「高校時代、17~18歳の1年間でイギリスに留学していたので、単身の海外生活は初めてでもないし…ということでパリに行きました。高校を卒業したらモデル1本でやろうと思っていたんですけど、当時流行っていた『オレンジデイズ』(TBS系)というドラマを見て大学生にもなりたいと思って(笑)。それで国内の大学にも入りました。 お芝居と音楽が好きだったので芸術学部に入ったのですが、だんだんモデルの仕事が忙しくなったのと、演劇科と音楽科の先生の派閥がすごくて…やりたかったことが両立できなかったんです。それで結局1年で大学は辞めちゃうんですけど、そこからどんどん仕事が順調になってきました。 でも、母はやっぱり大学を出てほしかったみたいで、私は退学届を出したつもりでいたんですが、母が実は休学にしていたというのが後からわかったりして。何があるかわからない世界だから保険として、ということだったと思うんですけど。 ただ、私がフランスに向かって行ったので、母も腹をくくってくれたというか。わりとそういう自由に飛び回る子どものことを喜んでくれるような両親なんです。最終的にパリからは1年半ぐらいで帰ってくることになるんですが」 ――帰国されて日本でモデル活動することに? 「そうですね。根底には常に日本で受け入れてもらいたい、という気持ちがすごくあって。それは小さい時から、自分の居場所に完全に馴染めていないような感覚になることがあったので、モデルの仕事でもまずは受け入れてもらえるところに自分の身を置いてきたんです。でも、やっぱり日本で、母国で認められたいという気持ちがすごく強くて。 1年半、パリやヨーロッパ、ニューヨークにも行ったりして、わりと順調に仕事をしていたんですが、自分が期待していた日本での評価というものになかなか繋がらなくて。 少しだけキャリアを積んだというお土産を持って一度日本に帰るんですが、自分のやりたいことが何故か満足にできなくて…。それが22とか23歳ぐらいでしたね。 今考えると、全然若いな~と思うんですが、14歳から始めて10年近く経つし、このままにっちもさっちも行かないんだったらやめようと思っていました。ただ、最後に苦手だったニューヨークをもう一度だけ、もう1年だけトライしようと。 そこからどんどん仕事の密度が変わっていって、やりたいことが出来るようになっていったんですよね」