「自主映画だと怪しい配給会社に騙されて…」単館上映から大ヒットした「侍タイ」監督が自分1人で映画館と交渉を始めた“切実な理由”
「スーパーカーなんてとっとと売れ」
――本業があるとはいえ、車を売って口座の残高が7000円になるまで映画を作ることについて家族の反応はどうだったんですか? 安田 「自分の甲斐性でやってることやから」と、反対まではされませんでしたね。2作目の『ごはん』は米作りの映画だったので、生きていた親父は喜んでいました。撮影のためにトラック貸してくれたり、稲刈りのシーンを撮らせてもらったり。『侍タイムスリッパー』を作るときも「スーパーカーなんてとっとと売れ」とむしろ車を手放すように言われましたし。「うるさいペッタンコの車なんかに乗って」とか車の文句はよう言われたんですが、映画をやめろとは言われませんでしたね。 ――『侍タイ』の完成とヒットをお父様に見せたかったですね。 安田 本当に……。京都で撮影をしていて主演の山口馬木也さんが実家で衣装の準備をしている時も「役者は男前やなあ」と楽しみにしてましたからね。
――安田監督は結婚されているんですか? 安田 結婚はしてます。奥さんも映画は“別に反対はしない”くらいの感じですね。映画を作ることについても実はあんまり相談してないんです。自分としても、映画があかんかった場合はまた働いて返せば良いや、と。 ――お米を作ったお金で映画を作る? 安田 いやお米って、うちくらいの規模だといくら作っても赤字なんですよ。親父は元公務員で恩給(年金)がそれなりにあったので、田んぼを管理できなくて困ってはる人から預かっていたんですが、親父が亡くなったときに調べてみて赤字なことがわかりました。それで申し訳ないんですけど預かってたぶんはお返しして、今は自分の家の田んぼだけです。去年はじめて稲刈りと水の管理をなんとかやってお米ができたときはやっぱり嬉しかったけど、赤字は赤字ですからね。 ――赤字でもお米は作るんですか。 安田 米作りは代々続いてきたもので、長男やし家業としては続けたいんです。『侍タイ』がなんとかヒットさせてもらったら、その分でしばらくはやっていける感じになりました。もし映画があかんかったら、全部返してしまうか迷うところでした。