愛人から迫られ離婚を切り出した38歳の赤塚不二夫。快諾されてなぜか当人がショック状態に…「ウソ、離婚してって俺が言ったの?」
『おそ松くん』『天才バカボン』など、「ギャグ漫画」のジャンルを確立した天才漫画家・赤塚不二夫先生。晩年期の赤塚先生を密着取材していたのは、当時新聞社の編集記者だったジャーナリストの山口孝さんです。山口さんは、先生から直接「評伝」の執筆を勧められ、長い時間をかけ『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』を書き上げました。「最後の赤塚番」が語った、知られざる「赤塚不二夫伝」を一部ご紹介します。 【書影】3人の「母」を通して描く、知られざる赤塚不二夫の物語。山口孝『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』 * * * * * * * ◆「天才っていうか、天分」 「俺は女を捨てたことはない。みんな、(俺が)振られたようになって終わる」と自慢げに話したことがある。 登茂子(=最初の妻)は「あれね、天才っていうか、天分」と言う。 「別れるにあたっては、自分から言ったことはまずないんじゃないですか。私が最初で最後。絶対自分から言わない。相手が離れていくのを待っている」 73年の秋だった。家に帰ってくるなり、「別れてくれ」と切り出された。 愛人から「私が慰謝料払うから、離婚してください」と迫られたためと言う。 登茂子は即座に、「はい、分かりました」と答えていた。
◆赤塚の思い込み 「私、とにかく気が強いし、エエカッコしいでしたから……」 登茂子は同時に、自分の気の強さを悔いている。 「嫌だって言ってたら、たぶん離婚にならないで、(家にほとんど帰ってこない)別居状態が続いただけだと思う。でも私、『離婚してくれ』って言われたら、嫌ですなんて言えないんです」 赤塚自身も、はずみで言ってしまったものの、本気ではなかった。それどころか、登茂子のほうから離婚を切り出されたと思い込んでいたのだから……。 もっとも、離婚に至るような、伏線はあった。 いつも、言った言わないでけんかになる。 「言ってないよー! 違うよー!」 「何よ、もう腹立つバカヤロウ!」と掴みかかろうとすると、「格好いい!」とはぐらかされ、腰砕けになって修羅場にならない。そんなことの繰り返しだった。 「金も名誉もあるし、女にもモテる。ネックは女房子どもがいること。だから、離婚する気は本人にも少しはあったと思う。愛人の言葉で弾みがついて、それが引き金になった。もっとも、その愛人と一緒になる気は、さらさらなかったでしょうけど」と、登茂子は振り返る。
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