五木ひろし 新たな挑戦「無謀かもれないが、自信はあります!」藤山一郎、美空ひばり…レジェンドの名曲を10日間で歌い継ぐ!
◆映画俳優であり、歌手でもあるレジェンド そして4人目(7日目、8日目)として取り上げたのは、石原裕次郎さん。映画俳優であり、歌手でもあるレジェンドです。裕次郎さんは存在そのものがもう絵になってる。黒塗りのロールスロイスからサンダルと短パンでおりてきてサマになっている人なんて、めったにいないでしょ。(笑) 子どものころ、福井の映画館で観た裕次郎さんは、ドラムの棒を振ってた。それもかっこよかったなあ。ちょっとシャイだったけど、その表情がまたいいんですよ。ご本人も望んで有名人になったわけじゃないようで、なりゆきでどんどん有名になってしまったことに照れていらしたのかもしれませんね。 裕次郎さんといえば、ヨットとビール。ハワイをこよなく愛していたのも、似合っていた。映画の主題歌として歌ったものが全部ヒットしたのもすごい。 ご本人は俳優より歌手の方が好きだとおっしゃっていたこともあるので、歌手としての裕次郎さんをしっかりと歌い継いでみたいと思います。
◆歌謡界に確かな足跡を残した方々 そして、9日目、10日目は、霧島昇さん、岡晴夫さん、田端義夫さん、そして東海林太郎さんを取り上げます。日本の歌謡界に確かな足跡を残した素晴らしい歌手の方々なので、この名曲たちも取り上げないわけにはいかない。 霧島昇さんも音楽学校の出身者です。古賀メロディを歌ってますが、藤山一郎さんとはまた違った趣です。そしてなんといっても、戦後のヒット曲第1号『リンゴの唄』を歌った方です。『リンゴの唄』は並木路子さんの曲と思われているかもしれないけれど、もともと霧島昇さんとの「共唱」だったんです。共唱って今はあまり言いませんが、戦時中戦意高揚のための曲をスター歌手総動員でレコーディングしたころの言い方だったようです。 岡晴夫さんは上原げんと先生門下なので、いわば僕の兄弟子です。大ヒット曲といえば、『憧れのハワイ航路』でしょうか? 当時はハワイに船で行ってたんだと思うと、感慨深いですね。時代は変わっても、いまだにハワイは日本の人気の観光地。憧れの気持ちもまだまだ残っているような気がします。 田端義夫さんの「オーッス!」という元気のいい声は一世を風靡しました。昭和14年にデビューしていましたが、「新曲を出し続けることが、現役歌手の証し」という信条で、平成になっても新曲を出し続け、まさに生涯現役で息の長い歌手として活躍なさいました、田端さんといえばギターですよね。独特の演奏スタイルも含めて、記憶に残るレジェンドです。 そして!最後に取り上げさせていただくのは東海林太郎さんです。 この中で唯一1800年代の1898年生れです。まだテレビの時代ではなく、ラジオの時代でした。いまでは股旅と言えば着物姿が主流ですが、当時、東海林太郎さんは名曲『名月赤城山』を、燕尾服を着用して直立不動の姿勢で歌う特徴的な歌唱姿が、記憶に鮮明に残っております。歌手協会の初代会長でもいらっしゃいます。 これらのレジェンドたちのヒット曲に、僕のヒット曲を合わせて、10日間ぶっ通しでやりきるつもりです。