政府の高官がアルツハイマー病に…苦難を乗り越え「世界一有名な認知症患者」となった女性と私の「奇跡のような出会い」
「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第24回 『交通事故と入院を乗り越え…アルツハイマー病の東大教授が参列した、波乱まみれの「感動的な」結婚式』より続く
札幌でのうれしい再会
札幌では、うれしい再会もありました。私たちの友人である高橋一・貴美子夫妻が、お見舞いに来てくださったのです。晋がJOCSの総主事をしていたころからの仲でした。 実は次男の結婚式のことを聞いた時点で、 「会いたいね」 と晋と話していて、私からお便りを出していたのです。そこに晋がアルツハイマー病と診断されたことも書き添えていたのですが、事故で入院したと知って、まず一さんが、翌日には貴美子さんが駆け付けてくれました。 会うのは実に16年ぶりでしたが、貴美子さんは耳寄りな情報をくださいました。クリスティーン・ブライデンの講演が、2ヵ月後にあるというのです。 クリスティーンは、おそらく世界一有名な認知症の当事者でしょう。 オーストラリア政府の高官だった彼女は、1995年、46歳の若さで若年性アルツハイマー病と診断されます。それでもクリスティーンは人生をあきらめず、『私は誰になっていくの?アルツハイマー病者からみた世界』(クリエイツかもがわ、原題『Who will I be when I die?』)という手記を発表。このときの姓は「ボーデン」でしたが、のちに再婚し、クリスティーン・ブライデンとして、現在でも講演やテレビ出演、執筆などで活躍しています。