「気づきを邪魔する」認知バイアスを自覚できるか 「二酸化炭素の排出抑制は地球のため」は本当か?
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』はじめ、編集者として数々のヒット作を生み出してきた佐渡島庸平氏は、「人は見たいものだけ見ている」と説きます。本稿では、同氏の最新著書『観察力を高める 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか』より一部抜粋のうえ、物事を見る目を歪める“メガネ”「認知バイアス」についてご紹介します。 【この記事の他の画像を見る】 ■人は自分が見たいものだけ見ている 「俺の敵はだいたい俺です」 『宇宙兄弟』の中で、ムッタのこんな台詞のシーンがある。
ライバルと競い合うのではなく、自分にできることをやるしかない。ムッタの台詞をそんなふうに受け取るのが一般的だ。 しかし、観察について思考し、バイアスをふまえて考えれば考えるほど、この台詞の深さを感じずにはいられない。この世界を正しく認知し、行動するのを妨げているのは、まさに自分自身の脳なのだ。自分とどう向き合うか。それが結局のところ、全てだ。 自分の存在自体が、気づきを邪魔している身近な例が、最近あった。僕には3人の息子がいる。息子を見ていると、遺伝子のすごさをまざまざと感じる。
というのも、僕の父と息子がまったく同じ表情をするのだ。眉のひそめ方などの、ちょっとした表情がまったく同じ。一緒に住んでいるわけでもないのに、こんなところが似るなんて! しかも、僕を通り越して隔世遺伝するなんて! と驚いていた。 コロナ禍でオンラインの会議が増えた。写真ではなく表情の動く自分の姿を見て、僕は当たり前のことにやっと気がついた。父と息子が、隔世遺伝で似ているわけではない。僕と父が似ていて、僕と息子が似ているだけなんだ、と。
■自分を観察の対象に入れるのは、本当に難しい こんなシンプルなことに気づくのに、どれだけ時間がかかったことか。これまでもいろいろな人から、父と僕は似ていると言われてきたが、僕自身は、周りが思うほど似ていないと勝手に思っていた。自分の仕草は、動画で撮って見たりしない限り、その特徴を自分では認識できない。自分という存在を観察の対象に入れるのは、本当に難しい。 僕ら自身が観察する主体であるとともに、観察される対象の一部でもある。だから自分の存在を客観的に観察するのは難しい。それを実感する事例は他にもある。そこかしこで耳にする、「地球に優しく」という趣旨の自然保護の活動だ。