いじめや性加害など「悪事」が見過ごされる現実 群衆は悪事を止めるために何もしようとしない
ある程度ではありますが、彼らの不作為がこの事件を許してしまったのです。 残念ながら、何が起きているのかが明確にわかる状況だったとしても、行動を抑制するプレッシャーを克服できる人はほとんどいないことが示されています。 リンチに関する本の著者であるシェリリン・イフィルは、米国のアフリカ系米国人に対するリンチがしばしば公共の場で実施されていたこと、何百人、時には何千人もの人々がそれを見守っていたことを明らかにしました。
観察者全員がそのイベントを祝福していたわけではありません。そこには怖がっていた人もいたはずですが、介入しようとした人はほとんどいませんでした。 ■悲劇は「善人の沈黙」にある 2017年2月4日、ペンシルベニア州立大学2年生の19歳のティモシー・ピアッツァは、所属するフラタニティの新入生いじめの儀式の一環として82分間で18杯のお酒を飲まされました。 午後11時頃、彼は階段から真っ逆さまに転落しました。
ティモシーは意識不明で、腹部の大きなあざなど重傷を負った形跡が認められたことから、フラタニティの多くのメンバーは彼の体調が非常に悪いことに気づいていました。 しかし、誰かが救急に連絡したのは、彼が転落してから12時間以上も経過した後でした。 ティモシーはようやく病院にたどり着いたのですが、脾臓の裂傷や重度の腹部出血、脳の損傷が見つかり、翌日、彼は亡くなりました。 どうして多くの人々は通報しようとしなかったのでしょうか?
少数の悪事が多くの人々に無視されたり見過ごされたりする例は、昔も今もよく認められます。 なぜ多くの共和党の指導者たちは、メキシコ人を「強姦魔」や「殺人鬼」呼ばわりするトランプ大統領の攻撃的な発言を無視するのでしょうか? なぜカトリック教会は、子どもたちを虐待していた神父を守ることを選んだのでしょうか? ミシガン州立大学のコーチや管理職、米国体操協会の関係者に至るまで、なぜ多くの人々はラリー・ナサール(訳注:米国女子体操界で起きた性的虐待事件の犯人)による若い体操選手への性的暴行を示唆する情報に、長年対処しなかったのでしょうか?