「本当の親は誰なのか」66年前の新生児取り違え、出自を追い求める「20年間」の足跡 都は調査に応じず
●「人の手による取り違えなら許されない」
江蔵さんはすぐに上京し、結果を両親に伝えた。すると母は、出産直後に病院のスタッフが赤ちゃんを雑に抱えているのを注意して、その時に病院側と少しトラブルになったことがあったという話を思い出して語った。 そして、「その後、おっぱいのあげ方やおしめの替え方などをスタッフから教えてもらえなくなった」と振り返った。 「故意に人の手による赤ちゃんの取り違えだったとしたら許されない」。江蔵さんの中で真相を知りたい気持ちが強まった。
●取り違えに気づかない当事者もいる可能性
そもそも江蔵さんのケースが明らかになったのは偶然が影響している。両親と本人の3人がともに血液型が違っていたからこそ、出自に疑問を持つことができ、それが結果的に赤ちゃんの取り違えを認定されることにつながった。 逆にもし母親がA型やAB型だった場合、江蔵さんは今も、何も知らないまま生活している可能性が高いのだ。 厚生労働省の統計によると、江蔵さんが生まれたとされる1958年の出生数は約165万人。令和となった今のほぼ2倍の数の子どもが生まれていた。 江蔵さんが母親から聞いた話によると、生まれた1958年当時、産院の中は赤ちゃんでごった返していたという。 江蔵さんが自身のルーツを調べる中で出会ったある女性は、1961年に女の子を出産した時、子どもに沐浴をしてくれた産院のスタッフが男の子を連れ戻してきたため、「私が産んだのは女の子です」と伝え、我が子が帰ってきたことを話してくれたという。 こうした当時の社会的な状況を踏まえて、江蔵さんは「私のような人間は氷山の一角だと思っています」と話す。 それはつまり、生みの親と育ての親が違うことを知らないまま生きている人が他にもいる可能性を示している。
●東京都は調査せず「賠償金を払う以外にできることない」
取り違えが発覚したのが都立の産院だったため、江蔵さんは最初、東京都に問い合わせたが、「作り話ではないか」と一蹴された。戸籍を扱う役所の担当者に尋ねても相手にしてもらえなかったという。 そこで2004年10月、自身が生まれた際に別の親の元に生まれた赤ちゃんと取り違えられたことについて東京都に損害賠償を求めて提訴。東京地裁、東京高裁ともに取り違えがあった事実が認定された。 これでやっと本当の親を探してもらえる。そう思ったのもつかの間だった。当時の石原慎太郎・東京都知事は「賠償金を支払う以外にできることはない」と述べ、行政として調査することを放棄した。 「当初は石原知事が協力すると言っていたのを信じていましたが、手のひらを返されてしまった。東京都は法律がないのでやれることがないと言いますが、私が望んでいるのは、区に保管されている戸籍受付帳を都が入手して私の誕生日とされている4月10日の前後の方を調べてもらうことです。加害者側である東京都が被害者救済として取り組むのは当たり前だと思います」