ドラフト5位指名も「交渉しません」…ヤクルトのレジェンド・松岡弘氏が明かした入団裏話 高校の1年先輩・星野仙一氏は当時から変な意味で有名人!?
エースの負傷で補欠から投手に
松岡: 倉敷商に入ったときはピッチャーをやってなかったんですよ。 徳光: そうなんですか。 松岡: だって1つ上にあんな人がいるんだよ(笑)。 徳光: あの人が卒業するまではできないですね(笑)。 松岡: 2年の秋までは僕の同級生にピッチャーがいたんです。僕は補欠みたいなもんで、ファーストをやったり適当なところを守らせてもらったりして。 松岡: そのエースの同級生が思わぬ出来事で利き腕の右手をケガしちゃって、ピッチャーに空きができた。そしたら同級生全員が「お前、ピッチャーやれ」って。ほんとは僕、大嫌いだったんだから、ピッチャー。 徳光: なぜピッチャーが嫌いだったんですか。 松岡: 1人で全部やんなきゃいけないじゃないですか。そんな責任持ちたくなかったの(笑)。
平松政次氏と投げ合い再試合
松岡: 僕が3年になったとき、岡山東商の平松政次が、(春のセンバツで優勝して)岡山県が全国区になった。彼は「岡山東商」で学校の名前に岡山がついてるんです。憎かったね(笑)。でも、あの人のおかげで岡山が有名になった。 徳光: すると刺激になったわけですか。 松岡: 大刺激。 昭和40年夏の岡山大会準決勝で倉敷商は岡山東商と対戦。3対3で日没引き分けとなり、翌日行われた再試合で、倉敷商は岡山東商に5対2で敗れ甲子園出場はならなかった。 松岡: 準決勝で平松と戦ったけど日没引き分けで次の日にゲーム。その頃、全部の試合に投げさせられてたんで、疲労困憊(こんぱい)で…。 徳光: でも、3年生のときの1年間で相当すごいピッチャーになったってことですよね。 松岡: ほとんど全部投げさせてもらってて。その頃にようやく目覚めたんですね。 徳光: ピッチャーとしての意識、勝負に対しての意識が…。 松岡: 芽生えましたね。特に平松君に負けたのはやっぱり悔しかったですよ。
ドラフト5位指名も「交渉しません」
高校卒業後、松岡氏は三菱重工水島に入社し、昭和41年、42年にクラレ岡山の補強選手として都市対抗野球に出場。昭和42年のドラフトでサンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)から5位指名される。 松岡: ドラフトにかかったら、大体、12月くらいまでにあいさつに来られるじゃないですか。そのあいさつがないんですよ。で、手紙が来て、「あなた、いりません」って。 徳光: えっ、なんで。 松岡: 「交渉しません」っていう手紙が来た。 後で分かった話ですけど、サンケイは4位までの分しか金がなかった。5位の支度金とかが用意できないから、「ちょっと勘弁してくれ」と。 徳光: そんな手紙が来たんですか。 松岡: 手紙一通だけですよ。それで、「見返してやろう」って思った。「ようし、見とれ。絶対、サンケイアトムズのスカウトの人たちを実家まで呼んで、頭を下げさせてやる」って。 同じ芝生の上を3カ月ぐらい走ってたら、芝生が枯れちゃって3~4月になっても芽が出ない。 徳光: “松岡ロード”だ。 松岡: 半年間ぐらいは、ほんとに死にものぐるいでやりましたから。 徳光: それで、今度は三菱重工水島として都市対抗に出るわけですね。 昭和43年の都市対抗野球1回戦で三菱重工水島は優勝候補の日本鋼管と対戦。松岡氏は好投したものの1対0で惜敗した。 松岡: そのゲームが終わったときに、宿舎までサンケイのスカウトが来た。「すみません」っていう態度で来たんだけど、「倉敷まで来てください」と強い口調で言いましたよ。そしたら、すぐに倉敷まで来ましたよ。 東京の宿舎に来たのは2~3人だったんですけど、倉敷には5人で来ました。みんな、ヘヘーッて感じで頭を下げる。 徳光: あれはなかったことにしてくださいみたいな感じで…。 松岡: その通りです。 徳光: 色んな人にプロ入団のいきさつをうかがいましたけど、こんな入団の仕方を聞いたのは初めてですね。
【関連記事】
- 【前編】「敵将・阪急の上田監督の抗議のおがげで勝てた」ヤクルトで通算191勝・松岡弘氏が語る日本シリーズ激闘秘話 広岡監督との確執&40年後の感謝の言葉
- 【後編】「9時に銀座だからストライク放れ」豊田泰光氏が石を投げてきた!“ヤクルトの大エース”松岡弘氏が語る個性派チームメイトとライバルバッターたち
- 親友にして盟友・星野仙一氏との絆…田淵幸一氏が明かした2人だけの関係 ライオンズへの衝撃トレード…そのとき後輩・掛布雅之氏にかけた言葉
- 星野仙一氏の弱点は性格にあり…広島カープのレジェンド“ミスター赤ヘル”山本浩二氏が語るライバルたちとの戦いと長嶋茂雄氏との知られざるエピソード
- あの国民的女優からまさかのカンニング!? アキレス腱痛から奇跡の復活“不屈の男”中日・谷沢健一氏が長嶋氏・王氏から送られた言葉とは