被疑者の実名を報じる週刊誌も 少年法と実名報道をどう考える? ノンフィクションライター 藤井誠二
大阪高裁はこれをひっくり返し、「表現の自由とプライバシー権等の侵害との調整においては、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・ 方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権等の侵害とはならないと解するのが相当である」と判断した。そして、少年法61条については、「同条が少年時に罪を犯した少年に対し実名で報道されない権利を付与していると解することはできない」とし、原告に対する権利侵害を認めなかった。また、少年の将来の更生の妨げになるという主張に対しては、地域住民は記事の出る前から知っていたであろうこと、地域住民以外の人は少年の実名をずっと記憶しているとは思えず、それが(更生の)妨げに直結することはなく、報道が更生の妨げとなる立証がされてないとも判断した。 その後、少年が最高裁への上告を取り消し、高裁判決が確定するわけだが、最高裁判決ではないので高裁の判断を重視をする必要はないと主張するむきもあり、また「週刊新潮」が都合よく我田引水的な態度を取っているように見えることもあり、高裁判決については、賛否両論がある、ということになろう。 しかし、61条には罰則規定はなく、啓蒙的な意味合いが強いのは事実だ。高等裁判所の判断は、少年法61条は、少なくとも18~19歳の加害者を一方的に保護してはいない、ということだ。実名報道を行った新潮社と高山氏が敗訴した一審ですら、「例外なく直ちに被掲載者に対する不法行為を構成するとまでは解しえない」とした。これらを踏まえると、現行の少年法61条には、マスコミが一般的に遵守するほどの厳格な縛りはない、ということは言えるのではないだろうか。
「社会の関心事」なら許されるのか?
しかし、高裁判決が、実名報道を基礎付ける論拠として、表現行為が「社会の正当な関心事」であることを上げている点には、私は違和感がある。曖昧だ。 被害者の命が奪われる事件が「社会の関心事」かどうかの一線を引くのは、裁判所や週刊誌ではないし、誰かが決められることではないはずだ。被害者の命が奪われた事件は本来なら、どの事件にも社会が関心を寄せるべきだ。そして、「実名報道が少年の更生の妨げとなる立証がされてない」とされるが、それも曖昧だ。 さらに、地域が実名をすでに知っているから実名を報道しても良いという理屈も問題だ。インターネットに、加害者のあらゆるプライバシーがあふれ返る事態をどう考えるのか。インターネットの何でも野放し状態は、「ネットリンチ」とも言える。それを問題と捉え、61条により実名報道を禁ずる場合は、インターネットも包括的に規制するべき、となるだろう。ネット上に実名を投稿した者の情報をプロバイダーに提供させるなど、なんらかの法的対処をするしかなくなってくる。