柔道・野村忠宏の引退会見全文3「康介と対面した時は」
お子さんが20歳でお父さんを投げたいと言っておられましたが?
朝日放送:最後に1個だけすいません。この夢の問題っていうか、あれですけども、息子さん、柔道されてると思うんですけど、なんかこうなってほしいなとか、オリンピックとか出てほしいなとか、そんなん思ったりしますでしょうか。 野村:どうなんでしょうね。息子がもしオリンピック代表になれば、これまたうれしいっていうかね、大変なあれだろうけど。 本当に今は、じいちゃんが創設した豊徳館っていう、自分が育った町道場で週に2回だけ柔道楽しいっていうふうに、そう言いながら練習して柔道やってくれてるんですけど、やはりこれからもうちょっと年を重ねて、中学生になって高校生になって、競技者として柔道と向き合う。そうなってきたらやはり、オリンピック3連覇の野村の息子っていう目で見られるし、現実的に柔道選手として自分を超えるのは絶対無理だろうなと。それがあるもんで、だから本人がそれでも頑張るんなら、それでも柔道選手としてオリンピック目指して頑張りたいんだ、そういう強い思いがあるんであれば応援していきたいけども、そうでなければ別に柔道にこだわることはなくて。 ただ、自分は柔道で育ててもらった、柔道を貫いたように、そういうふうに何か1つ、本気で向き合えるもの、本当に向き合えるものに出会ってほしいし。そういうものを、まあ出会ってほしいですね。そういったこと、向き合えるものに出会ってほしいなと思ってます。 記者B:今の、お子さんの話の中で1つ。お子さんが試合を、二十歳でお父さんを投げたいと言っておられたんですけども。 野村:あ、そうなんですか 記者B:はい、それに関してはどうですか。 野村:二十歳でって言ったら、私、60歳ですからね。私をいじめんなって言いたいです。 記者B:あと、最後の3回戦で投げられたあと、ちょっと手を上げ〓***00:39:04〓見られながら、何かちょっと、映像を見たら、つぶやいてはったなっていうとこが。 野村:そうなんですか。 記者B:何つぶやいてたのか、ちょっと覚えていたら。 野村:なんでしょうね。覚えてないです。なんでしょうね。 記者B:最後に、それこそ2013年のミキハウスさんでの新年会でもう1回っていうときに、頑張って頑張ったけど、なんなら柔道を嫌いになれたら良かったのにって、ちょっと半笑いになりながらも言われたこともあったと思うんですけど、最後の最後、悔いなく、まあ悔いは多少あるとはおっしゃってたんですけども、今。 野村:そうですね。悔いはあります。ただ、本当にやり切った上での諦めだと思ってるし、ただ、悔いはありますよ。本当にもう、誰か元気な膝、分けてくれへんかなとかね。おまえ、そんなに膝、使わへんやろっていう。替えてくれへんって思ったりしますもん。それぐらいやっぱり、今でも技術を極めたいっていう思いと、チャンピオンになりたいっていう思いもありますからね。 記者B:ありがとうございました。