「辞めたら親が悲しむ」から始めたピアノで動画再生7億回!音大での挫折、IT企業での休職を経てハラミちゃんが辿り着いたストリートピアノの世界
勉強も運動もダメだった女性が、就職を経て、ストリートピアノの道にたどりつきます。ハラミちゃんの人生は、ピアノとともにありながら、ピアノ1本で立ち向かうほど勝負できなかった学生時代もありました。いかにして、ハラミちゃんは生まれたのでしょうか。(全4回中の1回) 【画像】「ぷっくりほっぺが可愛い!」幼少期のハラミちゃん「ベレー帽も似合う」(全18枚)
■勉強も運動も苦手「ピアノ」が私を支えてくれた ── 2019年からYouTubeに動画をアップしはじめ、現在、チャンネル登録者数222万人。動画総再生数7億回以上を記録していますが、ピアノはいつから始めたのですか?
ハラミちゃん:4歳からピアノをはじめ、6歳のときには音楽大学の受験を考えるくらい、「ピアニストになるんだ」と自然に考えていました。 ── 小さいころから目標がしっかりしていたんですね。音楽好きの家庭だったのですか? ハラミちゃん:両親はピアノに無縁でしたが、家ではよく音楽がかかっていて、両親の影響で好きになったJポップのアーティストも多いです。Queen、ビートルズ、スピッツさんも家で流れていて好きになりました。私自身の青春時代はAKB48さんですね。
── いろんなジャンルを聞きながら育ち、それも今に通じるところがある気がします。やはりピアノが好きでたまらない、という子どもでしたか? ハラミちゃん:振り返ると「ピアノが好きで好きでたまらない」というのではなかったです。すごく好きでたまらなかったというよりは「ピアノをやめたら親が悲しむかもしれない」という感じでした。 私が人より得意なのはピアノ。ピアノをやめたら、得意なものが失われてしまうのが怖くて続けてきたともいえます。
── ピアノに夢中でなかったのは意外ですが、ピアノが自信やよりどころになっていたのですね。では、ハラミちゃんにとってピアノはどんな存在ですか? ハラミちゃん:“恩人”です。小さいころから、勉強も運動もできない私と友達との間をつないでくれるのがピアノでした。 音楽の授業の前後に友達のリクエストに応えて弾くと、みんな笑ったり喜んだりしてくれました。だからずっとピアノは“恩人”だと思っています。大人になってからも、ピアノに何回も救われてきました。