家でも「唐十郎」貫いた父 次男、大鶴佐助語る 「旅行体験を戯曲にしろ」とむちゃぶりも
アングラ演劇の旗手と呼ばれ、時に警察と衝突しながら野外に紅テントを張って演劇活動を続けた劇作家、唐十郎(1940~2024年)が今年5月、84歳で死去してから半年が過ぎた。次男で俳優の大鶴佐助(31)が、舞台「ヴェニスの商人」出演を前に、父について語った。 【写真】都内の自宅庭で、父の唐十郎(左)と遊ぶ大鶴佐助=平成11年ごろ ■家族旅行も戯曲化 「父は家でもずっと唐十郎のままで、座長として常に自分を鼓舞しているように見えました。でも(平成24年に)倒れてからは、本名の大靏義英に戻り、穏やかな時間を過ごしているように見えました」 東京都内の自宅には稽古場があり、生まれたときから劇団員が常に一緒。家族も劇団員も全く同じ扱いで、同じ食卓を囲む環境で育った。演劇漬けの環境だっただけに、俳優の道を選んだのも自然だったが、唐は大鶴の幼少時、劇作家になることを望み、英才教育を施したという。 「小学校時代は家族旅行に行くと、『旅行体験を戯曲にしろ』などとむちゃを言われ、書斎に閉じ込められました。次の日、添削され、しかも劇団合宿でそれを劇団員に読ませる。恥ずかしくて本当に嫌でした」 平成19年にはNHKドラマ「わたしが子供だったころ~劇作家・演出家・俳優 唐十郎~」で、「無自覚なまま」父の幼少期を演じた。中高生時代に反抗期を迎えると、「演劇はやらない」宣言をした時期もあったが、父の作品「ビニールの城」を見て、せりふの美しさに心が震え、泣いてしまう自分もいた。「反発もするけれど、認めざるを得なかった」と複雑な思いを抱きつつも、同じ演劇の道を選んだ。 ■本名に戻った12年間 「落ち込んでいる姿を、見たことがない」(大鶴)ほど24時間、パワフルに活動していた唐だったが、12年前に自宅で転倒し、脳挫傷の大けがを負った。自身が主宰した状況劇場や劇団唐組の舞台映像をよく見て泣き笑い、大鶴が舞台に立つようになると、客席で涙をこぼす場面もあった。 「父はナルシシズムの塊でしたから、自分と見た目や演技、言い回しが似ている息子を見て、自分で自分の分身に、感動していた節があります」 特に大鶴が、舞台で独創性や個性を発揮すると、人懐っこい笑顔で喜んだ。晩年、戯曲が書けないつらさはあったはずだが、家族の穏やかな時間を過ごした。「演劇しか能のなかった人が、本名に戻って生き直したようでした。でも亡くなって半年たった今、やはり、〝唐十郎〟の姿しか浮かびません」