東大は「たかが東大、されど東大に他ならず」
「反・東大」の下に敗北を喫する日
さて第七章の労働運動における「反・東大」、次いで第八章の東大法学部の講義を糾弾した右翼による「反・東大」、さらに終章の大学紛争時代とその後の「反・東大」に至って、つまり「結」の三章になって、「反・東大」の世間的意味が明らかにされる。 労働運動における「学士様」への反感、戦前東大法学部における「西洋中心型」講義への攻撃、戦後大学解体をめざした全共闘のあり方は、いずれもストレートに「反・東大」の思想に貫かれ、本来あるべき「東大像」を求めもした。労働運動における「反・東大」は、しかし時として東大幻想を浮上させた。戦後長きにわたって勢力不振を続けた社会党は、委員長成田知巳をおろすのに時間がかかった。委員長を無能よばわりする若手に対し、古参党員は「だって彼は東大を出てるんだぞ」の一言でおさえこんだというエピソードを私は思い出した。大学解体期をへた現在、これ自体ブラック・ユーモアにすぎないが。 「起・承・転・結」風の読みで、尾原さんの本の内容をたどって来た。「東大はたかが東大、されど東大に他ならず」これが私の感想である。そもそも東大なしに近代日本は語れない。しかも東大に対する「反流」の兆しは、常にどこそこに発見できる。しかし「東大」的なるものは、常に「反・東大」的なるものと併走し、闘争し、最終的には「反・東大」的なるものをうまく吸収し「東大」的なるものにまきこむ形で生き長らえて来たのではないか。尾原さんはそれを幕政改革による倒幕的反幕的運動への勝利とうそぶいた。しかし二百六十年続いた幕府ですらあっけなく倒れる時が来た。明治維新がそれだ。ならば「東大」もまた、いつの日にか「反・東大」の下に敗北を喫するのであろう。尾原さんの本を読み通した私には、その「いつの日」が「より近いいつの日に相違ない」と思えてならぬのである。 ◎御厨貴(みくりや・たかし) 1951年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学教授、政策研究大学院大学教授、東京大学教授を経て、東京大学名誉教授、東京大学先端科学技術研究センターフェロー。サントリー文化財団理事、サントリーホールディングス株式会社取締役。紫綬褒章、瑞宝中綬章を受章。著書に『明治国家形成と地方経営』(東京市政調査会藤田賞)、『政策の総合と権力』(サントリー学芸賞)、『馬場恒吾の面目』(吉野作造賞)、『権力の館を歩く』などがある。
御厨貴