三菱重工を辞め、「カオスでリストラ局面」だった妻の実家の会社へ クラフトビールで農業を切り開く若手社長
◆妻の父との軋轢はなかったのか
――経営を担う中で大切にしていることはありますか? とにかく、第三者目線でいることです。 自分が自分の会社のコンサルタントになったつもりで、客観的に判断するようにしていました。 これは「よそ者」である自分だからこそできたのかもしれません。 自分のエゴで事業や組織を動かすのではなく、客観的に見て判断していたからこそ、副社長時代も、先代社長との軋轢もほとんどありませんでした。 ある程度任せてもらったのは、すごくありがたかったですね。 それから、会社のバリューにもしている「三方良し」と「知・好・楽」という考え方は大切にしています。 後者は論語からの引用で「それを知るものはそれを好むものに如かず、それを好むものはそれを楽しむものに如かず」という意味ですが、やっぱり楽しいな、いいな、と思う分野のことはみんなすごく力を発揮するじゃないですか。 放っておいても学ぶし活動する。 その上で、勝手なことを1人でやるのではなく、三方良しできちんと回るようにすれば、十分なんです。
■「社長になる」がゴールではない
――若い頃から経営に近いところでご活躍されている朝霧社長ですが、規模の小さい会社にジョインしたことはプラスに働きましたか? 後継者という立場をどう考えるかだと思うのですが、自分で起業しようとしていたら、「社長になること」がゴールになっていたかもしれません。 でも、実際に大切なのは、社長になった後にどんなことをするのか、事業をどう続けていくのかです。 そういう面では、若いうちから規模の小さい協同商事という会社に参画し、会社が設立された目的を理解しながら働けたのはすごく意味のあることだったと思います。 ――ご自身が「事業承継する側」になることについての考えを聞かせてください。 時代によって、会社のアウトプットは変わるかもしれませんが、根本的なところは変わらないと思います。 だから、ビール事業を必ずしもずっと続けていく必要はなく、その時々の課題に応じたことをやっていけば良いと思います。 一方で、「農業で新しい日本を切り開く」という企業理念は大事にして、その枠の中で、生活が楽しくなるような事業をどんどんやっていけばよいと思います。 企業のバックグラウンドを大切にして、時代や生活者のニーズに合わせてどう新しいことにトライするかというのが、長く続く企業の承継ではないでしょうか。
■プロフィール
株式会社協同商事代表取締役社長 朝霧重治 1973年6月、埼玉県川越市生まれ。一橋大学商学部卒。1997年三菱重工業株式会社入社、翌年の1998年10月、株式会社協同商事入社。ビール事業を中心に企画に携わり、2003年に同社副社長、2009年に代表取締役社長に就任。「Beer Beautiful」をコンセプトに、クラフトビール「COEDO」のビール事業を再生した立役者。現在では、世界28カ国に届けている。
取材・文/川島愛里