池江・森保ジャパン・大坂――日本のスポーツに見る「疾走する現場」と「錆びつく中枢」
競泳の池江璃花子選手が12日、ツイッターで白血病と診断されたことを公表しました。その後の投稿でも率直かつ周囲の人を気遣うコメントを発する姿に、多くの人から励ましのメッセージが寄せられています。その一方で、オリンピック・パラリンピック担当大臣(五輪相)の桜田義孝氏が「盛り上がりが若干下火にならないか心配している」などと発言し、批判を浴びています。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、このような出来事に「日本社会の中枢の錆びつき」を感じるといいます。この錆のもとはいったいどこにあるのでしょうか? 若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
池江璃花子選手の病
競泳の池江璃花子選手の白血病が報道された。ショックだ。 僕は義兄と親友をこの病気で亡くしているので、ひときわ心痛を感じた。だが現在は医学も発達し、世界にはこれを乗り越えて活躍している選手も多いというから希望がある。多くのスポーツ選手から、またライバルであるスウェーデンのサラ・ショーストロム選手からも、アメリカのケイティ・レデッキー選手からも熱いエールが送られている。しかし、池江選手の身を案ずるより、東京で開催されるオリンピックへの影響を優先するような桜田義孝五輪相の発言には、悪意はないにせよ批判が集まっている。 このグローバル化するスポーツの世界で生きる人々と、あいかわらずの島国の保守政治家との意識のズレが、日本の「疾走する現場」と「錆びつく中枢」の現状を象徴しているような気がするのだ。
大迫選手への暴行
少し遡ってみよう。 サッカーのアジアカップで、日本は残念ながら準優勝に終わった。しかし森保ジャパンは決勝まで負けなしだったのだから、よく戦ったというべきだろう。日本はフェアプレー賞を受賞した。 僕はむしろ、準決勝のイラン戦における大迫勇也選手に対するアズムン選手の「暴行」が印象に残っている。ゲーム中ではあったが、ボールと関係のないところで突然うしろから大迫の足を踏み倒したのであり、ふつうのファウルとはいえない。キャプテンの吉田麻也選手が猛然と抗議したのは当然だ。 イランはかつてのペルシャである。世界でもっとも古い文明の名残を保つ国のひとつだ。シルクロードをつうじて古代日本ともつながりが深く、第二次世界大戦後もプラント建設など協力関係にあった。僕はアメリカにいたころイラン人学者に世話になったこともあり(風邪気味だったとき薬をくれた)、好感をもっていたので、今回の暴行を見てガッカリした。経済制裁が影響しているのかとも思った。 試合後、本人もチームも反省して謝罪し、日本選手(長友佑都選手)もツイッターで「終了間際の乱闘は腹立ったけど(中略)熱くなってたものがすっと消えた」と投稿しているので、それはそれでいいとして、ここでいいたいことは、国際化するスポーツにおける選手の行為が、国家のイメージに大きな影響を及ぼすということだ。