「死刑がふさわしい」ルフィ広域強盗事件で闇バイトに手を染め実行役リーダーになった男が裁判で語る…裁判では強盗に殴られ要介護5になった息子の両親が語る凄惨な現場の供述調書も読み上げ
6つの事件の詳細が次々と明らかに
その後、中野事件、広島事件と被告人質問は続き、永田被告の犯罪に対する”歪み”が浮彫りになった。 検察: 叩きなどの意味は知っていた? 永田被告: はい、私自身シャブの売人を叩いたり、先輩が半グレで叩きをしていたりするので意味は分かっていた。 検察: 盗みへの抵抗感は? 永田被告: 全くなかった。中学一年から犯罪歴が多く、常習的に行ってきたので抵抗はない。 検察: 強盗をしたのは初めて? 永田被告: 強盗は多少あるが、想像と違った。思っていたのは、(裁判員・裁判官の)皆さん被害者の写真を見たと思うがあんなレベルではない。もっと血が溢れるような、優しさがないやり方なので、逆にこんな優しい方法ならいいやと抵抗が薄くなった。もっと酷いことを想像していた。 犯罪への抵抗がないこと、さらにその知識を買われリーダー役を任されていた永田被告。指示役の男については…「私は皆さんとは違う考えを持っていて、皆さん見た目がイカつい人を怖いと思うと思うけど、私は犯した犯罪歴で怖いと感じる。KIMさんはとても頭が良い。私も頭の良い人に詐欺で騙されたりしたこともあるので、私より格上の犯罪者だと思った。KIMさんに今の日本についてどう思うかと聞かれて、犯罪者論を話したこともある。それで気に入られてリーダー役に抜擢されたのかも」と言う。
被害者は要介護5に…両親が調書に語った凄惨な現場
被告人質問ではそれぞれの事件について詳細な質問が行われた。第三の事件、広島事件は時計買取店の店舗兼住宅に押し入り、現金約250万円と腕時計等137点を奪ったとされている。ここでの被害者は3人の親子。そのうちの1人、当時49歳の息子は永田被告に後頭部をモンキーレンチで強打された。命は無事だったが今も重度の意識障害と体には麻痺が残っている。その両親の供述調書には凄惨な犯行が事細かに記録されていた。 当時81歳、店主の事件直後の供述調書(検察官が代読): ○○(店名)は店舗兼住宅で、2階が居住スペースです。妻と息子と買取専門店を、腕時計や貴金属を買取、販売していました。12月21日のことを話します。当日も普段通り営業していました。その日は息子の体調が悪く、閉店時間を少し早くして閉店しました。私は2階のコタツのある部屋で酒を飲んで夜ご飯を食べました。その後はテレビを見ていたと思います。その後の記憶は、あまりにも突然のことで、私は抵抗するのに必死で記憶が曖昧です。2階にいると知らない男2人が入ってきました。私は何が起きたのか理解できませんでしたが、知らない男が入ってきたことから強盗だと思いました。私は1人の男と男と体を掴み合い、取っ組み合いになりました。私よりも背が高く痩せ型だったと思います。私の視界には2階の台所の床に仰向けになって倒れた息子が見えました。頭の部分には血が広がっていて意識がありませんでした。床の上に仰向けになった息子の頭の部分にタオルを敷いて当てたと思いますが、血が吹き出していました。私は息子をこんな目に遭わせた男たちに『お前ら子供が死んだらどうすんだ、死んだら殺人罪だぞ、はよ病院に連れて行かないけん』と言いました。すると男たちは私を結束バンドやガムテープで縛って巻いてこようとしたので抵抗しました。その時に顔を殴られましたが、必死で、痛みがどれほどのものだったかは覚えていません。とにかく子供が死んだらどうなるんや、殺人罪ぞと言いました。すると男は『金庫はどこだ、番号を教えろ』と言いました。現金を狙っていることはわかりましたが、息子が頭から血を流して倒れていて、男たちに早く出ていってほしいと思っていました。男と一対一なら取り押さえてやろうと思っていましたが、1人ではなかったのでとてもできないと諦めました。金庫は下にあると教え、暗証番号も教えました。その後、男の1人が何度か1階と2階を行き来して、金庫はどこにあると尋ねてきました。窓の下、テレビの下にあると教えました。私に下に降りろ、金庫を開けろと言ってきたので2階から1階へ降りました。店舗部分を見るとショーケースのガラスが破られていて、男が時計をかき集めていました。私は息子が一刻を争う状態で、早く出ていってほしいという気持ちだけでした。私は自分で金庫のダイヤルを回しました。妻のことが心配になり『お前大丈夫か』と叫ぶと『大丈夫よお父さん』と聞こえ少し安心しました。金庫の扉を開けて200万を渡しました。当店の大事なお金でしたが、それよりも息子を病院へ連れて行かないと思いました。男たちはダダっと走って逃げて行きました。窓から顔を出すと白いバンの車が右の方へ走って行きました。店舗前に停めてある自分の車で追いかけようかと思いましたが、救急車を呼んで病院へ連れて行かないとと思い、110番通報をしました。息子は病院へ搬送されました。 店主の妻の供述調書(検察官が代読): 12月21日の当日のことを話します。夫と息子は2階のコタツで夕食をとりました。私も夕食をとり、その後食べ終わった食器を洗おうとしました。その時、台所のインターホンが鳴りました。いつもこんな時間に訪ねてくる人がいないので誰が来たのかと思いました。夫と息子の方を見ると2人とも不審な顔をしていました。モニターは暗くてよく見えませんでした。男性の声で『宅配便です』と言われ、心当たりはありませんでしたが何かが届いたのだろうと思いました。『お金はいりますか?』と聞くと『いりません』と答えました。私はサインするためのボールペンを待って1階へおりました。玄関の白熱灯をつけ、玄関の土間にあった赤いサンダルを履いて鍵を開け顔を出しました。そこには男性2人がいて、1人は背が低く、もう1人は頭ひとつ高かったです。2人は両手でダンボールを前に抱えていて、少し見合った後に扉の隙間から足だけを入れて扉が閉まらないようにしてきました。その時に親指を踏まれました。次の瞬間、前にいた男が押し入ってきました。男に足を踏まれたまま押されて仰向けで倒れました。背中と後頭部を打ち付け、私の足は扉側、頭は階段側にありました。私は夫や息子に『宅配便じゃない、泥棒じゃけ』と叫びました。夫は耳が聞こえにくく、テレビを大きくつけていたので、息子に聞こえてほしいと叫びました。扉から何人かダダダっと入ってきて階段を上がって行きました。土間に倒れ込んでいた私の左側に男が回り込んできて、押さえつけてきました。宅配便の前にいた男に強く押さえつけられ息ができなくなりました。人の肌ではなく、部分部分固い布のように感じたので軍手をつけていたのだろうと思います。口や鼻、足を押さえられて抵抗できず、男たちは複数だったので殺されるかもという絶望でいっぱいで、抵抗しようとなりませんでした。男が2階へ行ったので『助けてください、お父さんを殺さんといてください、息子を殺さんといてください』と何度も言いました。すると押さえつけられて息が苦しかったので『息が出来んけえ緩くして、心臓が悪いけん』と言うと、私を押さえつけていた男は少しは緩めましたが手は離しませんでした。『喋らんほうがいいよ、苦しくなるから』と言われました。『お父さんは80年辛抱してようやっとここまで来たのになんでこんなことするん』と言いました。男は何も答えませんでした。他の男がやってきて、私を押さえている人に『静かになったか』と言いました。2階からは食器が割れたり、何か物が倒れる音が聞こえてきました。2階からは『息子が死んだら殺人罪になる、はやく病院に行かせてくれ』と聞こえました。ショーケースのガラスが割れる音も聞こえました。私は『息子を殺さんといてください、お父さんを殺さんといてください』と言い続けていました。すると2階から何も聞こえなくなり、押さえつけていた人に『2階が静かになったけど殺したんじゃないだろうね』と言いました。何も答えませんでした。男は私の口を押さえたまま『金庫の番号わかる?』と言いました。『パニックになってるからわからん』と言うと『じゃあ離してあげられないね』と言いました。2階から降りてきた別の男が私の顔を覗き込んで『金庫の番号教えて』と言ったので『お父さんが全部やってるから私はわかりません』と言いました。夫が降りてきて私のところまで来ると『大丈夫か』と尋ねてきたので『大丈夫』と答えました。金庫の扉を開けているとき、別の男が外と中を行ったり来たりしていました。店の中の時計を出していたのではないかと思います。男たちが逃げて行って、私の口と鼻を押さえていた人も逃げて行きました。男たちがどこへ逃げていくのか確認しようとしました。私から見て右へ逃げて行きました。私は息子が心配で2階へ行きました。台所の床に仰向けで倒れていて、両手を体の前で合わせてぐるぐる巻きにされて、両手首を結束バンドで縛られていました。私は息子の耳元で『お父さんとお母さんは生きとるよ、ありがとうね、あいつらに負けたらいけんよ、すぐ救急車呼ぶけえね』と言いました。息子の意識はありませんでしたが、足先が少し動きました。110番すると夫もすでに電話していたので電話を切りました。息子を運びやすいように結束バンドを切り、ガムテープやヒモを切りました。息子は意識が戻らないまま搬送されて行きました。 店主の供述調書(2023年11月)(検察官が代読): 息子の現状についてお話しします。息子はまだ入院していて寝たきりが続いています。気管切開が続き、管が喉に挿入されています。事件当時に比べると状態は戻ってきました。私たちの言葉に対して手を握ってきたりまぶたを動かしたり、顔を使ってジェスチャーをしてきます。私たちの言っていることを理解できるようになっているのだろうと思います。しかし、“あ”、“い”という言葉を僅かに発することしかできないので本当に理解しているのかはわかりません。それでも伝わっていると信じています。医師は痰を自分で出せるようになれば管を外せると言っています。痰を飲み込めるようになるかは不透明で見込みはありません。息子は言葉を1年も発することができていません。要介護度は5です。医師には自分で立つことはできない、車椅子生活になるだろうと言われています。今も右手で握ることはできますが、左半身は不随です。今は息子の身体障害者手帳を作っています。先月19日にセラミックの頭蓋骨を脳に埋めました。頭部の三分の一を覆う、頭部と繋ぎ合わせるための手術をして頭部の3か所をとめました。息子は19日の手術を入れて5回の手術をしています。相当体力を消耗していて、健康に気を使い、体力、気力共に十分だった息子がこのようになり、親としてかわいそうでたまらず、辛いです。現在も息子のお見舞いに訪れています。しかし面会時間は10分に限られています。もっとそばにいてあげたいですが、面会では心から『頑張れ』『良くなってくれ』と声をかけるようにしています。息子の治療費は相当高額になります。食事代、オムツ代など170万円くらいは負担して払っています。役所の補助があるのかはわかりません。 犯人たちへの処罰感情についてですが、まずはモンキーレンチで息子を後ろから殴った永田陸人は絶対に許しません。その上に立つ人間も許せません。日当で雇われた他の者にも厳重な処罰を願います。息子にこんな辛い思いを負わせたのですから、そうでなくては困ります。犯人たちにも親がいることでしょう。子供が可愛いのはわかります。ですが、子供がこれだけのことをしたのだから厳しく臨むべきです。それが親としての責任でしょう。全国で同じような事件が多発しています。それだけ私たちと同じ辛い思いをした被害者が増えたということです。そんなことはあってはなりません。犯人には厳重な処罰を。長い期間刑務所にいさせてください。
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