植松三十里『侍たちの沃野 大久保利通最後の夢』(集英社文庫)を東えりかさんが読む(レビュー)
「日本三大疏水の父」の見果てぬ夢
治水は産業の要となる。特に新しく農地を開発し作物、特に米を作るために用水を確保することは絶対条件となる。 明治新政府の先頭に立っていた内務卿の大久保利通(としみち)は、奥州で大規模な新田開発の土地を探していた。調査を命じられたのは南一郎平(いちろべい)。元は九州の庄屋の生まれだが、地元で難しい水路の開削を成し遂げ大久保に認められて大抜擢された。 辿り着いたのは福島の安積(あさか)原野。すでに大久保も一度訪れており、地元でも高度のある猪苗代(いなわしろ)湖を水源とする疏水(そすい)が検討されていた。 だがそれに立ちはだかるのは奥羽(おうう)山脈。硬い岩盤を掘って隧道(ずいどう)を通すのは不可能だと思われた。 だが他に場所はない。莫大な費用が掛かっても、大久保は国営事業として開拓を行うことを決めた。 古今東西、未来永劫、水争いは絶えない。水を引くなら我が土地へ、と誰もが望む。用水路をどこに作るかは死活問題だ。一揆も辞さない農民たちに心を決めさせたのが、御雇外国人で土木の専門家、オランダ人のファン・ドールンだった。 南が苦労の末に用意した四つの用水の候補地から選んだのは峠下の隧道が短い経路だった。山の頂上近くに隧道を通し、灌漑(かんがい)の場所を狭い範囲に限定する。三年という工期を考えると、それしかないと説得した。 外国人の力を借りると同時に、日本人留学生も活躍した。ヨーロッパで学び、新しい機材と技術を輸入し、人力では不可能と思われたことを成し遂げていく。明治の技術者たちは不撓不屈(ふとうふくつ)だ。後に琵琶湖疏水や那須疏水の開削にも従事した南一郎平は「日本三大疏水の父」と呼ばれた。 明治維新から間もないこの時期、幕末から維新にかけて起こった戊辰戦争の遺恨は凄まじい。 武士に利用された農民たちの怒りも収まってはいない。そんな状況の中、未来を見据えていた大久保利通の夢に賭けた男たちの姿は心躍る物語となった。 東えりか あづま・えりか●書評家 [レビュアー]東えりか(書評家・HONZ副代表) 千葉県生まれ。書評家。「小説すばる」「週刊新潮」「ミステリマガジン」「読売新聞」ほか各メディアで書評を担当。また、小説以外の優れた書籍を紹介するウェブサイト「HONZ」の副代表を務めている。 協力:集英社 青春と読書 Book Bang編集部 新潮社
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