新紙幣発行「2000円札」は“刷新ナシ”で取り残されるも…沖縄県で流通量“激増”の意外な背景とは?
新紙幣が7月3日から発行され、1000円札、5000円札、1万円札のデザインが刷新された。 琉球銀行のATMに導入されている二千円札優先ボタン 紙幣や貨幣は、主に偽造防止の観点からおおよそ20年に一度のサイクルで改刷されている。ところが、上記3券種の前回発行(2004年11月1日)よりも前である2000年7月19日に発行を開始した2000円札の刷新は行われなかった。 1000円札、5000円札、1万円札がほぼ毎年、ある程度の枚数が刷られているのに対し、2000円札は2004年度以降刷られていないこともあり、全国的には見かける機会が減少している。一方で、沖縄県内では流通量が徐々に増えているという。 実際に、日本銀行那覇支店が公表しているデータをみると、全国で出回っている2000円札の枚数は2004年に一時5億枚を超えたものの、その後は減少。現在は約9600万枚にまで落ち込んでいるのに対し、沖縄県内では右肩あがりに増え続け、現在では約770万枚が出回っている。
沖縄サミットの年に発行も…2000円札が「記念紙幣」ではないワケ
2000円札といえば首里城の守礼門が描かれ、九州・沖縄サミットの開催された2000年に発行を開始したことから、記念紙幣と思っている人もいるかもしれない。しかし、日本銀行那覇支店はHPで下記のように説明している。 「二千円札は他のお札と同様、日常的に使用することを想定した恒久紙幣です。その根拠としては、日本銀行法施行令第13条『日本銀行券の種類は、一万円、五千円、二千円及び千円の四種類とする』に規定されています」 また、2007年には当時内閣府の沖縄・北方対策担当大臣であった岸田文雄現首相が国会で、2000円札は1万円札などと同じ“一般的な紙幣”であると答弁し、利用促進を訴えていた。 「私も財布に二千円札を入れております。これは一般札でありますので、できるだけこれを使うこと、目に触れること、これが何よりも大切だと思います」(岸田沖縄相・当時)
発行当時、沖縄で行われた「1・2・3運動」とは
では、沖縄県とそれ以外の地域でここまで流通量に差が出たのはなぜか。 那覇市議会では2006年に「弐千円札の流通促進に関する宣言決議」を可決し、2000円札について、「恒久平和を願う全県民の心のよりどころ」である首里城守礼門が描かれていることから「平和希求の紙幣」と位置づけている。その流通を促進することにより、沖縄県の文化発信や観光振興などへの寄与が期待されるとして、「流通促進に向けて、あらゆる努力を傾注することをここに宣言する」としていた。 那覇市議会の担当者は、実際に行われた取り組みについて、次のように説明する。 「議会として何かイベントをやったという記録は残っておらず、また、議会や各議員が利用促進に向けて、具体的に『何をどれだけ行ったのか』という詳細については、残念ながら今となっては確認できません。 ただ、こちらも議会や各議員との関係性は不明ですが、『二千円札流通促進委員会』という組織があったようで、そちらでは、県民1人1人が、2000円札を3枚ずつ持ちましょうという『1・2・3運動』を呼びかけていたそうです」