【89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉④】食を粗末にする人は自分も他人も大切にできない
食を粗末にすると必ず自分に返ってくる
けれど、すぐに山形での生活にも慣れていった。 「私は近所の農家の手伝いをするのが大好きでした。この地域では、農繁期には子どもも含めて家族や親族総出、猫の手も借りたいほどの忙しさです。地元の子は農作業が大嫌いでブツブツ言っていましたが、私は率先して手伝いを買って出ました。 種をまいて、それが芽を出して、育っていく過程が面白くてしょうがなかったのです。春には山菜を、秋にはきのこ狩りに山へ行くのも楽しかった。収穫期には野菜のおすそ分けがあり、山から採取したものが食べられるのです。こんなうれしいことはありません。 東京では体験できないこうした田舎の暮らしに夢中になり、学校の帰りや休みの日には農家に顔を出しては、草刈りから、田植え、稲刈りまでなんでも手伝いました。その頃は本気で将来は農家になりたいと思っていたほどです(笑)」 また、こんなこともあったそう。 「私には雛から育てていた雄鶏がいて、貫太郎と名づけてかわいがっていました。貫太郎は頭のいい鶏で、私を見かけると植木の陰に隠れて、陰からこっちをひょっこりと覗いていました。そして、私がそれに気づかないふりをして近くを通り過ぎると、わっと出てきて私を驚かすのです。とてもお茶目で、私になついていました。 しかしある日、学校から帰ると貫太郎がいません。庭を探すと、その体は柿の木に吊るされていました。東京から来るお客さんにごちそうをふるまうために、絞められたのです。 私はショックで立ち尽くしましたが、父母を責めることはしませんでした。実の父母だったらわめき散らしていたかもしれませんが、子ども心に感情をグッと押し殺したのです。 それ以来、私は今でも鶏肉だけは食べません。10歳のときの誓いを今も守っているのです」
当時は戦後の混乱で、人々の食事はみんな質素だった。 「ご飯と漬け物、それに味噌汁があれば十分。ご飯と味噌汁を食べたら、ご飯茶碗にお湯をそそぎ、漬け物でご飯茶碗と汁椀もきれいにして、漬け物をいただきお湯を飲み干します。こうすれば食器を洗う必要もない、無駄のない合理的な方法です。 これでお腹いっぱいになっていたわけではないと思いますが、いつも腹ペコでひもじかったという記憶もありません。 飽食の時代といわれて久しい現代。もちろん私もおいしいレストランで家族や友人と食事をするのが大好きです。でも、このときの経験から、食は動物や植物の命をいただいているという気持ちを常に持っていて、食事をする前に必ず『いただきます』と心をこめて手を合わせます」 そして、生きていくうえで粗末にしてはいけないものが3つあると小林さん。それは「食べ物」「自分」「人間関係」だ。 「家に食べる物があるのに、わざわざ高い物を買って散財したり、平気で残したり捨てるなど、食べ物を粗末にすることは、家計が崩壊したり、健康を害するなどして、必ず自分に返ってきます。 自分を大事にできない人が他人を大事にできるわけがありません。すると人間関係を失うことになります。この3つは密接につながっているのです。 食べ物=自分=人間関係と考えて、まずは食べ物を大切にすることから始めてほしいのです。 養父は戦争ですべての財産を失いました。羽振りのよかった頃は大勢の人が集まってきましたが、潮が引くように離れていきました。お金も分相応な暮らしができるくらい稼げば十分なのかもしれません。 禅の言葉に「足るを知る」という言葉があります。欲をかかずに、分相応で満足することで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていけるというものです。 私たちが今、普通の暮らしができていることは、決して当たり前ではありません。日々の何気ない生活すべてに感謝して、持ちすぎない、無駄をしない、そんなシンプルな生活が心を豊かにしてくれるのだと思っています」