「自分のありようが白日のもとにさらされた」…アルツハイマー病に侵された夫が初めて妻に明かした「心の内」
「何でもできると思っていたことが…」
晋は、あまり思い出したくない、という様子でした。そこで、沖縄に移り住んだこと、北海道に滞在し、友人との再会によって委員長を引き受けたことなどを書くことにします。 そして晋が、 「これまで私は、たえず後ろを振り向くことなく走ってきた」 と、まとめるように語りだし、続けて、 「……しかし、アルツハイマー病と診断されて……」 ――言葉が続きません。私はただ、耳を澄ませて待ちました。ややあって、晋が語りを再開します。 「……これまでのように、何でもできると思っていたことが、できなくなり……」 「えっ、本当にそう思っていたの?」 「思っていたよ」 何でもできる――まったくもって大胆な表現です。でもそれが、彼にとっては偽らざる本音だったのでしょう。だからこそ、「なぜこんな病気に」という問いから抜け出せなかったのかもしれません。 私はふと、数日前にふたりで読んだ、「ラビ・ベン・エズラ」という詩の一節を思い出していました。19世紀のイギリスの詩人、ロバート・ブラウニングの作品で、知人から届いたノートのなかにたまたま書き込まれていたのです。その詩を末尾に引用するかたちで、巻頭言ができあがりました。「国際交流委員長に就任して」と題したその文書の前半では、就任にいたるまでの過程が記されていますが、後半には晋の胸の内が率直に表現された、次のような言葉が並びました。 〈これまで私は、たえず後ろを振り向くことなく走ってきた。しかし、アルツハイマー病と診断されて、これまでのように何でもできると思っていたことができなくなり、自分のありようが白日のもとにさらされた。そして、これまでの信仰が、根源的に問われることになった。〉 〈「老いゆけよ、我と共に! 最善はこれからだ。人生の最後、そのために最初も造られたのだ。我らの時は聖手の中にあり。神言い給う。全てを私が計画した。青年はただその半ばを示すのみ。神に委ねよ。全てを見よ。しかして恐れるな!」と。(ラビ・ベン・エズラより)〉 詩のタイトルになったラビ・ベン・エズラは、中世の聖書学者の名で、ブラウニングはその思想を紹介する詩をつづったのです。 「なぜ、こんな病にかかったか」そう過去を振り返って問いかけても、答えはない。だが、恐れることなく神にゆだねれば、先に進むことができる――そんなメッセージは、鮮烈でした。 だからノートが届いた日、さっそくこの詩を晋に読み聞かせたのです。 「神様が届けてくれたノートだね」 晋もそう言って喜んでいました。