【特集】アジア人女性初の「プリンシパル」に 新潟市出身・バレエダンサー横山瑠華 「チャンスが少ない新潟で公平にチャンスを」故郷で実現したかったこと プロとしての挑戦 《新潟》
かつて学んだ教室で
≪横山瑠華さん≫ 「だいぶきれいに変わってる!」 「私が最後3年生の時に学んでいた教室です。懐かし過ぎる。でも(教室の椅子や机が)思っていたよりちっちゃい」 Q)席はどの辺でした? 「席替えでいろいろなところに座っていたんですけど記憶が強いのはやっぱりここら辺?後ろだと遊べますから」 この場所から瑠華さんは世界へと羽ばたいていきました。
バレエとの出会いは4歳
1997年、旧新津市(現新潟市秋葉区)の生まれ。バレエとの出会いは4歳の時でした。 ≪横山瑠華さん≫ 「体がもともと柔らかかい子だったみたいで母がバレエスタジオに連れて行ってくれた」 娘のポテンシャルを見抜いた母の勘は、的中。瑠華さんは中学生でコンクールに入賞しました。 そこでもらったのは賞だけではなく、ポルトガルへのバレエ留学の切符でした。 ≪横山瑠華さん≫ 「(高校)受験シーズンになった時に同級生が受験に向けてギアを入れた時に私はどうするのか?そこでちょうどいただいた入学許可だったので迷うことなく、行きますと」
ポルトガルへバレエ留学
親元を離れ海外に身を置く決意をした瑠華さん。 バレエダンサーの卵だった15歳は初めて“世界”を知ることに。 ≪横山瑠華さん≫ 「日本と共通していることが一個もないみたいな感じでしたバレエでもこんなに違うのかっていう、もちろん体型から、それこそ流派も違いますし違いしかなかったですね」 言語も文化も違うポルトガルで一生懸命送った学生生活。 音楽学校を卒業後、ジョージア国立バレエ団に就職。芸術監督ニーナ・アナニアシヴィリの元、プロとしての道を歩み始めました。
アジア人女性初の「プリンシパル」
そして、20歳の時に転機が。 チャイコフスキー作曲の「眠れる森の美女」ではじめて主役に抜擢されたのです。 ジョージア国立バレエ団でアジア人女性初のプリンシパルです。 ≪横山瑠華さん≫ 「そこからバレエと初めて向き合った感じで、初めてバレエのスイッチがしっかり押されたって感じで、主役っていうのは役柄でもそうですけど主役のために舞台が動いているので、そこで初めてこんなにも責任のあるものなんだと」 主役を務めるプレッシャーと戦っていた瑠華さん。それでも日々高みを目指そうとひたむきに役と向き合ってきました。 それから数年後、ダンサーの階級では最高位で60人以上いる劇団員の中でたった4人、カンパニーの顔ともいえるポジション「プリンシパル」に昇格。 ジョージア国立バレエ団ではアジア人女性として初めての快挙でした。 ≪横山瑠華さん≫ 「嬉しいのはもちろんですけど、嬉しいよりももっと頑張らなきゃって感じでしたね。バレエをやっている人は一番上のプリンシパルを目指しますから。アジア人の方が体形的にも恵まれていないことが多いし自分も一番上の階級にしてもらって日本人を代表してちゃんと責任をもって頑張っていかないとなって感じでしたね」