右手指は全て欠損、金庫に大金、目撃されていない夫…尼崎市で孤独死した「謎の女性」をめぐる実話ルポ(レビュー)
「最期は本名で迎えたい」。70年代に起きた連続企業爆破事件の容疑者として指名手配されていた桐島聡が、死の間際の病床で名乗りを上げた。おそらく多くの人の胸に浮かんだのは、世間を震撼させた過激派グループの一員ではなく、半世紀ものあいだ素性を隠して暮らし続けた孤独な人間の姿だったのではないか。 行旅死亡人とは、氏名や本籍がわからず遺体の引き取り手もない死者を指す法律用語。本書の中心にいるのは、2020年に兵庫県尼崎市のアパートでひっそりと亡くなっていた、とある高齢女性だ。金庫にはなぜか多額の現金、右手指は全て欠損、目撃者のいない「夫」の存在―数々の謎に導かれるように、平成生まれの記者二人組が自らの手と足を駆使し、警察も探偵も辿りつけなかった真実へと執念で迫っていく。 元々は〈現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか〉というタイトルでWEB上に掲載された八千字程度の記事だった。書籍化にあたり大幅に加筆し再構成することになったが、「著者のお二人がまだ“死”とは遠い30代前半だった点や、亡くなった女性に真摯な気持ちで向き合いつつ夢中で調査を進めていく取材姿勢などを見て、それぞれの主観や個性は敢えて残して書いていただくようお願いしました」と担当編集者は語る。そこからゆっくりと浮かび上がってくるのは「どんな人の人生にも物語があり、等しく価値がある」というメッセージだ。 一般的なルポやノンフィクションとは趣の異なる、ノスタルジックなイラストの表紙は装丁家からの提案だという。「この物語の主人公のひとりである“千津子”さんが長い間目にしていたであろう日常の一コマを再現しています」(同) 発売から一年以上が経ってもコンスタントに売れ続け、現在十二刷。次々に新刊が棚にあふれ古いものからころがり落ちてしまう時代にあって、このベストセラーの意味は大きい。 人もモノも、流れる時間に溶けてあっというまに見えなくなる。だが、その価値まで風化させてはならない―篤実な姿勢に裏打ちされた、時を超える名著だ。 [レビュアー]倉本さおり(書評家、ライター) 1979年、東京生まれ。毎日新聞文芸時評「私のおすすめ」、小説トリッパー「クロスレビュー」、文藝「はばたけ! くらもと偏愛編集室」、週刊新潮「ベストセラー街道をゆく!」を担当、連載中。ほか『文學界』新人小説月評(2018)、『週刊読書人』文芸時評(2015)など。ラジオ、トークイベントにも多数出演。作品の魅力を歯切れよく伝える書評が支持を得ている。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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