黒柳徹子 兵隊さんが貴重な「外食券」を私達親子に押しつけるように立ち去って…「アメリカとの戦争が始まったのは、その年の暮れのことだった」
◆リンゴ まだアメリカとの戦争が始まる前、パパを除く全員で、北海道のママの実家に遊びにいったことがある。ママにとっては、結婚(けっこん)してからはじめての里帰りだった。 帰りの青森から上野(うえの)に向かう汽車の中で、トットは窓にへばりつくようにして、外の景色を眺(なが)めていた。 前の席にはおじさんが2人座(すわ)っていて、「あの栗毛(くりげ)の馬はとてもいがった」「子馬は安かったから買いたがった」と、さかんに馬の話をしていた。 発車してしばらくすると、窓いっぱいに広がるまっ赤な光景が、突然(とつぜん)トットの目の前に現れた。リンゴ畑だった。 「リンゴだ、リンゴだ!」 トットだけじゃなく、ママもいっしょになって大きな声を上げた。まっ赤なリンゴの実がたくさんなっていて、それがあまりにきれいで、おいしそうで、トットたちはウットリした。 「どうしましょう。降りるわけにもいかないし」なんて、ママがトットたちに話していたら、前に座っていたおじさんの1人が、「リンゴ欲(ほ)しいか?」と話しかけてきた。 「ええ! 欲しい、欲しいです。もう、リンゴなんて東京では、ずーっと食べたことないですし、売ってもいませんから」 「私たちは次の駅で降りるけどね。そうだ、奥(おく)さん。お宅の住所を書きなさい」 ママは大あわてでメモ帳を破ると、大きな字で東京の住所を書いて、それをおじさんに渡(わた)した。メモの切れはしをポケットにつっこんだおじさんたちは、次の駅であたふたと席を立ち、降りていった。 おじさんからトットの家にリンゴが届けられたのは、それから2週間ぐらい経(た)った日のことだった。 大きなリンゴの木箱が2箱も。もみ殻(がら)の中から顔を出したまっ赤なリンゴたちは、本当においしそう。もちろんあまくておいしくて、泣いちゃうぐらいうれしかった。
◆手紙 それが縁(えん)で、ママとおじさんは手紙のやりとりをするようになった。 名前を沼畑(ぬまはた)さんといって、青森県三戸郡(さんのへぐん)の諏訪(すわ)ノ平(たいら)で大きな農家を営んでいるとのことだった。ジャガイモとかカボチャとか、野菜をたくさん送ってもらったこともある。 そのうちおじさんから「来年、長男が東京の大学に行くけれど、知りあいがいないので下宿させてほしい」という手紙が届いた。 ママはそのお願いを引き受けたけど、息子(むすこ)さんはトットたちの家に来る直前に軍隊に召集(しょうしゅう)になり、それから1年もしないうちに戦死したと聞いた。 戦争が終わってもトットは、大学生が軍隊に召集されて行進しているニュース映像が流れると、息子さんはあの中にいたのかなと思って目を見開いたものだった。 ※本稿は、『続 窓ぎわのトットちゃん』(講談社)の一部を再編集したものです。
黒柳徹子