もうダメかもしれない…「硫黄島上陸」をあきらめかけた新聞記者に起きた「驚きの奇跡」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
硫黄島上陸に向けた最後の作戦
遺骨収集団員の推薦枠を持つ日本遺族会の関係者も訪ねた。三浦さんに紹介してもらった。関係者は僕のルーツを聞いた上で、こう話した。 「あなたが遺族に準ずる立場の人だということは分かりました。ただ、参加を希望する遺族は多く、順番待ちの状況が続いているんです。残念ですが、難しいでしょう」 遺族会と同数の推薦枠を持つ硫黄島協会の定期総会の会場にも足を運び、幹部に打診した。もともとは生還者の団体だったが、現在の中心は遺族だ。自身も遺児であるその幹部も、参加を希望する遺族が多いという理由で推薦を認めてくれなかった。 そして2019年5月。東京着任から1年余りが経っても前進できなかった僕が向かったのは、銀座線虎ノ門駅前のオフィスビルだった。 今後の遺骨収集のあり方について協議するため専門家や関係者らが一堂に会す厚労省の「戦没者の遺骨収集の推進に関する検討会議」の初会合がこのビルの会議室で開かれることになっていた。 僕は閉会後、退出する出席者一人ひとりに名刺を配った。「遺骨収集への参加を模索しています」という言葉を添えて。ただ、その場で前向きな返事をしてくれた人は一人もいなかった。 名刺にメールアドレスが書いてあった人にはこんなメールを送った。 「検討会議の終了後に挨拶させて頂いた北海道新聞東京支社の記者で厚生労働記者会所属の酒井聡平と申します。さて、先ほどお伝えしましたが、私の祖父は硫黄島守備隊と同じ小笠原諸島の元兵士でした。戦後復員し、私の出生前に他界しました。そうしたルーツから、祖父の戦友とも言える戦没者1万人が今なお眠る硫黄島の遺骨収集に長年関心を持ち、報道を重ねてきました。ここ数年、遺骨収集に参加する機会を模索してきましたが、実現がかなわぬまま月日が経過しました……」 収集団参加への強い思いを伝えるため、メールには過去に発信した硫黄島の関連記事を5本添付した。できることは何でもしようとした。 7月が過ぎ、8月に入っても、前進しなかった。もうだめかもしれない。硫黄島に僕が行くことは、遺族が一人行けなくなるということなのだ。僕は身を引くべきなのだ。そう自分に言い聞かせて納得しようとした。 上司からは東京勤務は2~3年と言われていた。早ければ半年後の翌年3月には北海道に戻ることになる。在京中、最後になるかもしれない夏休み。僕が1週間の家族旅行の滞在地に選んだのは、「房総半島最南端之碑」がある千葉県南房総市だった。 僕はやはり硫黄島には渡れないのだ。であれば、せめて硫黄島に近い地まで行こう。そんな思いで旅先を選んだ。硫黄島に繋がる海を毎日見て過ごした。それで、さらに自分自身を納得させようとした。