覚えているのは疲弊する母の背中…ヤングケアラーとして闘いながら躁うつ病とともに生き抜いた日々【作者に聞いた】
「中学校2年生から高校1年生までのはっきりした記憶がない」 そう語ったのは、書評ライターや連句人として俳句や文芸情報をX(旧Twitter)で発信をしている高松霞さん(@kasumi_tkmt)。家族の不幸に無意識に追い詰められていた日々と、それにより発覚した躁うつ病との日々を綴ってもらい、その心情にぴったりな俳句とともにコミカライズ。作画は、自らのことを「霊感のようなものがある人間」と紹介する漫画家・桜田洋さん@sakurada_youが担当。その柔らかで心に染み入る絵のタッチと、鮮やかな色づかいが魅力だ。 【漫画】本編を読む 今回は、高松霞さんを取り巻いていた家族の悲惨な状況と、躁うつ病が発覚した当時を、その心情に寄り添う俳句とともにお送りする。 ■俳句は人生の選択肢を示してくれた ヤングケアラーとして「これが普通の生活だ」「みんな耐えて生きているのに泣き言を言ってはダメだ」と信じて生きてきた作者の高松さん。現在の主治医に「それは違いますよ」と諭されて「え?そうなの?」と知っただそうだ。 作品を漫画化する際に絵を担当した桜田さんには、とても感謝しているという。「エッセイの意図を汲んで、想像以上の作品を上げてくださいました。私の生きてきた道が肯定されるような感覚があったというか……」と語る。 挿入されている俳句は、高松さんの俳句の友人にいくつか候補を上げてもらい、その中から高松さんが一句選んでいるそうだ。 どの俳句も、誰にでも「わかる」言葉で書いていながら、とても幻想的であったり、少し不穏な雰囲気をもつ句が詠まれている。また、「人間を絞れば水や藤の花」について「初句の『人間を』って、すごく大きいことを言っている。それが『藤の花』に着地する。すごい句だ、絶対これにする」と挿入に至ったそうだ。 第1話では、高松さんのヤングケアラー時代、始まった弟の暴力、躁うつ病が確定したエピソードについて綴られている。当時の高松さんに寄り添う俳句にも注目しながら、彼女の人生をご覧いただきたい。 取材協力:高松霞(@kasumi_tkmt)