就職、起業、32歳でWリーグへの挑戦ーーバスケ選手・桂葵がこの10年のキャリアと道のりを語る
「いつでも挑戦者でいるほうが楽しい」
ーその「ワクワク」の理由をもう少し具体的に聞いてもいいですか? 桂:まず今年のトヨタはチームメイトの半分がルーキーで、年齢的にも、ほとんどの選手が20代前半です。選手一人ひとりのポテンシャルを高く感じていますが、経験値などこれからの部分もあります。 ーなるほど。 桂:だからチームにとってすごくチャレンジングなシーズンになると思います。それにルーキーが多いからこそ、チャレンジの方向性もすごく面白そうだと思っていて。 一人ひとりのスキルを伸ばすことももちろん大事なんだけれども、それ以上に、いまのメンバー12人で、足し算ではなくどうやったら掛け算になるかを考える、みたいなチャレンジなんです。歯車がぴったり噛み合ったときに、奇跡的なことが起きるかもしれないって感じ。 私は、学生時代、3x3といろいろな環境でバスケをやってきて、やっぱりチャレンジャーであるほうが面白いんですよね。 桂:でもこれはちょっとズルいところもあると思っています。チャンピオンであり続ける難しさもわかるので。でも、いろいろな立場でバスケをやったうえで、限られた選手生活のなかでチャンピオンであり続けるより、挑戦者でいるほうが楽しいし、そういう環境を選び続けたいなって思っています。今回の決断の裏にもこういう思いがありました。
「いい意味で人生に期待しなくなった」。ZOOSでつかんだ最高の瞬間を経ての価値観の変化
ー桂さんはインカレでMVPを獲得して5人制バスケチームへの参加が期待されているなかで、一度バスケを離れる道を選んでいます。社会に出て約10年、32歳のタイミングで5人制に戻ろうと思った理由を聞いてもいいですか? 桂:いままでいろいろなインタビューで「どうしてバスケから離れる決断をしたのか」と質問されるんですけど、その答えはずっと変わっていなくて。「バスケは大好きだけど、自分の価値観を変えるような出会いはもうないかも」と思ったからなんです。 例えば、WNBA(※)に挑戦した日本の選手は、当時、荻原美樹子さんと大神雄子さん、渡嘉敷来夢さんの3人で、ありがたいことに皆さんわりと身近な存在でした。荻原さんは大学時代の監督、大神さんと渡嘉敷さんは高校の先輩。自分が皆さんと同じところまでいけると思っていたわけではなかったけれど、日本の女子バスケの頂点とも言える方々にはもう出会ってしまったな、と。 (※)WNBA(ウィメンズ・ナショナル・バスケットボール・アソシエーション…アメリカ合衆国の女子バスケットボールのプロリーグ 桂:だから卒業後は商社に入って、その後、退職して自分でバスケチームを立ち上げてっていうことをやってきたのだけれども、社会に出て10年がたって「バスケがどうやったら上手くなるか」ということを考えるようになっていて。つまり、大学卒業当初とは価値観が変わってきたんだと思います。 ー10年かけて価値観が少しずつ変わっていったのだと思うのですが、その変化の理由を聞いてもいいですか。 桂:一言で言うと、いい意味で人生に期待しなくなったからかな、と。そう考えるようになった理由としては、ZOOSでワールドツアー優勝ができたという経験が大きいです。 日本代表にも選ばれず、国際試合で戦ったこともない、少し前まで会社員だった人間が急にチームをつくって、仲間を集めて、いろんな人たちに支援してもらえて。そのおかげで世界挑戦の2年目で「FIBA 3×3 Women’s Series」(※1)という大舞台で優勝ができた。 そのとき、ドイツ代表での出場機会を待っていた選手をチームメンバーとしてむかえた「Düsseldorf ZOOS」(※2)として挑んだのですが、決勝戦でドイツ代表に勝って優勝することができたんです。ドイツ代表のコールアップを待たずにZOOSを選んでくれたチームメンバーや、まだ私が何も持っていなかったときから信じて支援してくれた人たち、いろんな人たちとこの景色を見ることができて、語弊を恐れず言うなら人生で1番最高の瞬間でした。これから先にこれを超える幸せはないなって思ったんです。 (※1)FIBA 3×3 Women’s Series…国際バスケットボール連盟(FIBA)が主催する女子3x3の世界最高峰のプロサーキット。5月から9月にかけて世界各国でツアーを行なう。 (※2)Düsseldorf ZOOS…ZOOSは3x3Düsseldorfとパートナーシップを組み、ZOOSを運営母体とした日独混合の3x3クラブ「Düsseldorf ZOOS」として「FIBA 3×3 Women’s Series」に2022年、2023年の2年連続で参戦した ー登りきった感じがある? 桂:自分らしいスタイルで優勝できて、自分らしく登りきることができたという感覚はありますね。本当に、縁とか運とかが奇跡的に噛み合わさってできた優勝だったので、特別な経験でした。その経験があったからこそ、それ以上の出会いや面白いものを追い求めるのではなく、純粋に「どうやったらバスケが上手くなれるだろう」と考えるようになりました。 ー追い求めていたものを掴んだからこそ、ご自身のコアの部分に戻ってきたんですね。 桂:そうですね。私が好きなのは間違いなくバスケで、しかも自分がプレーすることが好き。10年の経験を経てこの核の部分に、改めて立ち戻った感じです。