曙追悼…元横綱が「レッスルマニア21」で体感したWWEの姿勢(1)できるだけ本物の大相撲を 感謝してやまないビッグショーのまわし姿【週刊プロレス】
曙太郎さんがこの4月に亡くなられた。同15日に執り行われた葬儀の模様も含め、外国人初の横綱ということもあって各メディアで大々的に報じられた。格闘技転向後ではあるが何度も取材させていただいたなかで最も印象に残っているのが、WWE「レッスルマニア21」(2005年4月3日=現地時間、米カリフォルニア州ロサンゼルス、ステープルセンター)に参戦したときのこと。世界最大のプロレスの祭典で曙は、ビッグショーと相撲マッチをおこなった。大会翌日に現地で語った曙の言葉は、WWEのプロレスに対する姿勢がうかがえるものだった。(文中敬称略) 【写真】曙がビッグショーをぶん投げた!
2001年1月に引退を表明したあとは、親方として師匠である東関部屋で後進の指導にあたっていた曙だが、2003年11月に日本相撲協会を退職。格闘家に転向し、同年大晦日にボブ・サップと対戦した。その後もK-1で闘っていたが戦績は振るわず。一部では“大相撲のツラ汚し”とまで酷評された。 そこに舞い込んできたのがWWEからのオファー。舞台は「レッスルマニア21」。格闘家としてでもなく、プロレスラーとしてでもない。異種格闘技戦でもない。ビッグショー相手に元横綱として相撲を披露してもらいたいというものだった。 WWEでは1990年代前半から半ば、元力士をキャラクターにしたヨコヅナが活躍した。サモア系アメリカ人で、曙と比べても見劣りしない230kgの巨漢レスラー。グレート・コキーナのリングネームで新日本プロレスで活躍したのちにWWE(当時はWWF)入り。髷を結い、まわし風のリングコスチュームで、必殺技はバンザイドロップ。日系のミスター・フジがマネジャーに付いて反日感情をあおり、ヒールとして世界王座に就いている。 それもあって当初は、「曙レッスルマニア参戦」「ビッグショーと相撲マッチ」と発表されても、“第2のヨコヅナ”としか思われなかった。 しかしWWEが用意したのはできる限り日本の大相撲に近い舞台で、あくまで“リアル横綱、WWE参戦”にこだわった。 さすがに本格的な土俵は設営できなかったが、大会途中でロープを外し、土俵が描かれたキャンバスを敷く。そこには徳俵のラインが引かれており、コーナーには力水が用意され、塩が盛られていた。 先に入場した曙が浴衣を抜いてまわし姿を披露した瞬間、会場は失笑が漏れた。しかし、続いて入場してきたビッグショーまで素肌にまわしを締めている姿を見た際には、先ほどまでの笑いが驚きの声に変わっていた。誰もがかつてのヨコヅナ同様、スパッツの上からまわしを締めていると思っていたのだろう。 大会翌日の取材で曙は次のように語っていた。 「ビッグショーさんには感謝してます。スパッツの上からまわしを締めてもいいですよって言ったんです。恥ずかしいでしょうから。自分も最初、大相撲に入った時はそうでしたから。でもビッグショーさんは、素肌の上に締めるって言ってくれたんです。そうじゃないと本物の相撲にならないからって」 一方、一番の問題だったのは行司。WWEのレフェリーやレスラーを起用すれば、プロレス的な演出になってしまう。それを避けるには本物を連れてこないといけない。といっても、日本相撲協会に話を持っていくわけにもいかず。しかし、意外なところに適任者がいた。(つづく) 橋爪哲也
週刊プロレス編集部