なぜ村岡桃佳は北京パラ”3冠”に初めて涙したのか…冬季パラ日本歴代最多となる4つ目の金メダル
深くて、なおかつ鋭いターンで旗門を次々とクリアしていく。それでいて雪煙もほとんど上がらない。ターン時にエッジでブレーキがかかっていない証だ。 「いつも通りに体を動かして、とにかく体を倒して、そして板に乗って、ということだけを考えていましたし、いい感じで滑っているという手応えもありました」 自画自賛した会心の滑りはタイムに反映される。2本目で最速の1分00秒51をマークしただけではない。8秒あまりも遅かった劉を含めて、他の9人全員が1本目よりもタイムを落としたなかで、村岡だけが逆に1秒25も上回っていた。 フィニッシュした瞬間に金メダル獲得を確信した村岡は、劉に7秒28もの大差をつけた逆転劇を「2本目は自分のターンを出すだけでした」と振り返った。 「他の選手には絶対に負けないターン技術を持っていると思っていますし、そのターンで最後までつなげることができれば、自分なら絶対に勝てる自信もあったので。2本目で金メダルを取りにいく滑りをしたので、いまは本当に達成感にあふれています」 正確な技術とスピードが問われる大回転には特別な思いもある。 出場した全5種目でメダルを獲得した前回平昌大会。そのなかでも金色の輝きを放った大回転のそれは、華やかなスポットライトを浴びた。期待の大きさがいつしかプレッシャーへと変わったなかで、村岡は大好きだった競技と距離を置く決断を下した。 自国開催の東京パラリンピックを目標にすえて、2019年4月から陸上に取り組み始めた。コロナ禍で大会自体が1年延期された影響で、いっさいの雪上練習を封印した期間は2年半に及んだ。異例の“二刀流”に不安がなかったと言えば嘘になる。
それでも女子100m(車いすT54)で堂々の6位入賞を果たし、雪上へと戻ってきた村岡が感じたのが滑る“楽しさ”だった。陸上のトレーニングで培われた筋力や体幹の強さが、滑りにもポジティブな影響をもたらす相乗効果も体感できた。 平昌大会後の4年間で経験した、さまざまな出来事や感情が走馬灯のように脳裏を駆けめぐり、涙腺を決壊させたのだろう。村岡はこんな言葉を紡いでいる。 「前回金メダルを取った種目、というプレッシャーもそうですし、それ以上に自分のなかでも絶対に取りたい気持ちが強かったので、うん、一番嬉しいですね」 夜には場所を延慶の室内施設に移してメダル授与式に出席した。 プレゼンターを務めた国際パラリンピック委員会のマセソン美季理事は、松江の旧姓で出場した1998年長野大会アイススレッジスピードレースで、男子の武田豊とともに3つの金メダルを獲得したレジェンドでもあった。 日本勢として通算3人目となる、ひとつの大会で三冠を達成したパラリンピアンとなった村岡は、同時に「4」に達した通算金メダル数で、冬季パラリンピック史上で日本勢歴代の単独1位に名を刻んだ。もっとも、北京での戦いはまだ終わらない。 「明日は最後の種目、スラローム(回転)がありますけど、とにかく自分らしく、楽しく滑っていきたいと思います」 今日12日には、平昌大会で銀メダルを獲得した回転が行われる。銀メダルだった7日のスーパー複合を含めて、2大会続けて出場全5種目で表彰台に立つもうひとつの偉業へも、村岡はいつもと変わらぬ笑顔で臨む。