アスリートの分岐点/走幅跳界のエース【橋岡優輝】は、圧倒された悔しさが世界と戦う決意に!
世界選手権ドーハ大会で日本人初の入賞を成し遂げ、東京五輪で6位入賞を果たした男子走幅跳の橋岡優輝。パリ五輪でさらなる飛躍が期待されるトップジャンパーが、世界と戦う覚悟を持った一戦について語ってくれた。
TURNING POINT/2016年7月20日 U20世界陸上競技選手権大会 走幅跳 決勝
今シーズン初戦となったフロリダ州での競技会“ハリケーン招待”で、自己ベストまで8㎝に迫る8m28の好記録でパリ五輪参加標準記録を突破した走幅跳の橋岡優輝。国際舞台で頭角を現したのは大学時代で、U20世界選手権での金メダル獲得を皮切りに2019年のアジア選手権とユニバーシアードで優勝。同年にカタールで開催された世界選手権では、日本人初の8位入賞を果たした。東京五輪では6位に入賞し、世界のトップジャンパーの道を歩んできた橋岡が分岐点として語ってくれた試合は、彼がまだ世界では無名だった頃の一戦。2016年にポーランドで開催された、U20世界選手権だ。当時、高校生だった橋岡は同大会で決勝まで進んだものの、10位という結果で惜しくも入賞ならず。悔しさを味わう一戦となった。 「これが僕にとってはじめての国際試合だったのですが、入賞はできず。世界で活躍したいという思いをずっと抱いてきたのですが、そこではじめて現実的な世界を見たというか……。ここから先を目指していかなくてはならないんだという、覚悟のようなものが生まれた試合でした。思い起こすと、あのときはどこか自分の身体ではないような感覚で、試合のことをあまり覚えていないんです。ウォームアップまではいつもどおりできているかなという感じだったのですが、いざ本番になったら、あれ、身体ってこんなに動かないんだっけ!? と感じてしまうくらいのプレッシャーというか、独特の緊張があったことだけを覚えています」 決勝を戦ったメンバーには、キューバ代表のマイケル・マッソを筆頭に同世代のトップ選手が名を連ねていた。世界との差はどんなところに感じたのか。 「海外選手の地の強さというか、同じ条件でやって疲れているはずなのに、予選から決勝に向けてしっかり仕上げてくる。そういう部分での強さを感じました」 世界との差を目の当たりにした、その2年後。2018年のU20世界選手権で目標としていた8mを跳んで、金メダルを獲得。あざやかなリベンジを果たした。 「はじめてのU20世界選手権で今のままではダメだということを痛烈に感じ、それ以降、練習に対する意識がより強くなりました。常に世界を意識するようになったと同時に、以前はどこか漠然としていた目標が明確になり、目標を達成するためになにが必要なのかを細かく考え出し、それに取り組むようになったことは大きいと思います。悔しい思いをしたら、その悔しさは同じ試合じゃないと返せないという思いはやっぱりありました。なので、目標としては一応達成できましたが、そのときはそのときで新しい課題も生まれていました。同じ国際試合で優勝ができたことで自分がスケールアップできたとは思いますが、だからといって現状には全く満足していなかったですね」 さらに上を目指す橋岡は、2022年からフロリダ州のタンブルウィード・トラッククラブに練習拠点を移し、サニブラウン・ハキームも師事するコーチのもとでトレーニングを行っている。 「トレーニングの内容自体は、コーチ任せでやっています。現在はスプリントを磨くことをメインでやっていますが、コーチが違えばまた別の課題を言い渡されたのかもしれないと思います。コーチには“お前はちゃんとスプリントをやれ。助走の場面で全く走っていない。ジョギングと変わらないくらいだ”といわれて。僕としても助走力を上げること自体は必要だと思っていましたが、まさかそこまでボロカスにいわれるとは(笑)。かつては全力でスプリントをやってしまうと、それを踏み切りに繋げられないだろうなと思う部分がありましたが、今コーチに教わっているのは、全力で走って全力で踏み切る形です。走る速度が1段上がると、それを生かす踏み切りの技術レベルとしては2段くらい上のものが必要になってくる。今はその速度レベルを急激に上げているので、踏み切りの技術を5段くらい上げている感覚です」 こうした積み重ねの成果が、今シーズンの初戦での自己記録に迫るジャンプにも現れはじめた。その先に見据えるパリ五輪や2025年の世界選手権に向けては、どんな思いで向き合っているのだろう。 「これからの2年間は、本当に悔いがないぞと思えるくらいやりきりたい。またひとつ陸上に対する向き合い方が変わるような、自分にとって新しい分岐点になるような試合になってくると思いますので、その中で自分が出すべき結果をしっかりと出していきたいですね」