【ドキュメンタリー】58年 無罪の先に-袴田事件と再審法- 世紀を超えた冤罪事件が問いかけるもの#3
法改正よりも…
現在の刑事訴訟法を施行されて以降、1970年代から80年代にかけて、4つの事件で死刑囚の再審・無罪が確定している。 そのうちの1つ、1954年に静岡県島田市で起きた幼女誘拐殺人・死体遺棄事件、いわゆる島田事件で、1989年に再審無罪となった赤堀政夫を支援していた鈴木昴は「ものすごく反省している。根っこは再審法制の問題をしっかり明らかにし、法律らしい法律に体系を整えた方がいいんじゃないか、そういうことにもう少し私たちも頑張らなければいけなかったと思う」と後悔の念を抱き続けている。 巖の弁護人を務める福地もまた、「(法改正を)頼りにして弁護するというのは袴田氏に対して可哀想。『証拠開示を!証拠開示を!』と言ったって、全然、証拠開示が実現しないまま裁判が終わってしまったらまずい。あるがまま、ある状態での証拠で闘っていくしかなかった」と法改正の必要性を認識していたものの、優先すべきは巖を救うことだったと振り返る。
“再審法”改正に向けた機運は?
2010年、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を受け、国は法相経験者で弁護士資格を有する千葉景子を座長とする「検察の在り方検討会」を設置。 千葉は当時の議論について「取り調べについて、もう少しきちっとしなければいけない。そういう中で一番大きかったのは取り調べの可視化という問題だった。やっぱり可視化ということを通して、無理な自白を強要されない、あるいは冤罪を防ぐ。(再審法改正についての議論は)なかった、皆無と言ってもいい」と明かす。 成城大学・教授の指宿によれば、公判請求事件が毎年数万件ある中で再審の申し立ては100件前後といい、優先されたのは取り調べの可視化だった。 こうした中で2024年3月、ようやく再審法の改正を目指す超党派の議員連盟が発足。 静岡地裁の裁判長として巖の再審開始を決めた村山は「袴田さんの事件(の審理)が現に進み、年内には判決が出る。国会議員の皆様にはぜひ悔いを残さないように、同じ苦しみを味わう犠牲者を出さないために国会で法律を改正してほしい。この問題が大きく論じられるようになったきっかけのカラー写真が再審請求をしてから何と30年経って出てきた。どうして30年もかからなければいけないのか。これは証拠開示の規定がないから。今の日本の刑事訴訟法、刑事訴訟規則では冤罪被害者はなかなか救われない。運用で解決するのは限界。どうしても改正が必要」と呼びかけ、ひで子も「(議連発足は)こんなにうれしいことはない。今でも大勢の人が大変苦しんでいる。巖だけ助かればいいという問題ではない」と期待を寄せた。 村山は「元裁判官として法律に非常に問題があることは実感している。これは私の退官後の使命として取り組んでいる。そうしないと私自身、袴田さんに顔向けできない」と断言する。 同年春。 村山は静岡市中心部の街頭で再審法の改正について訴えていた。 「袴田さんが逮捕されてからの58年は一体何だったのか。捜査機関が持っている証拠を、請求人や弁護団に見せるようなシステムに変えなければいけない。変えていきましょう」 市街地に村山の声がこだまする。 とはいえ、多くの人にとって再審法は遠い存在だ。 この点については「再審の問題は物価が高いとか安いとか、大衆的な欲求になりにくい問題」と村山も認めている。 だが、村山を突き動かすのは「何も言わずにじっと静観していた方がずっと楽。楽なんだけれども、それでは自分の責任を果たせないと思った。袴田事件に関わって、その後の経過も含めて『これではいけない』と。幸か不幸か袴田事件に関わった。そして、その過酷な状況を知ってしまった者として責任を果たさなければいけない」との使命感だ。 再審法改正の肝となる証拠開示について、日本弁護士連合会は審理の長期化や証拠の見落としを防ぐため、証拠リストの提出を検察に義務付けるよう求める一方、法務省や検察庁はこれまで「リストを作ることは過度な負担となり、捜査に支障をきたしかねない」「開示された証拠で根拠のない主張が繰り返されれば、かえって審理は長期化する」などと反論してきた。 (テレビ静岡)
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