【ドキュメンタリー】58年 無罪の先に-袴田事件と再審法- 世紀を超えた冤罪事件が問いかけるもの#3
元裁判長が抱いた“違和感”
迎えた2014年3月27日。 静岡地裁は巖の再審開始を認め、死刑並びに拘置の執行を停止することを決定。 それにより、巖は同日、約48年ぶりに釈放された。裁判所の決定により死刑囚が釈放されたのは、後にも先にも巌だけであり、極めて異例のことと言える。 この時、静岡地裁の裁判長として再審請求審の審理を担当したのが現在は弁護士の村山浩昭だ。 村山は、1968年に前出の熊本が書いた一審の死刑判決文に「異様な判決。最初に自白の職権排除が出てくる。このパターンは無罪判決なんです。ところが死刑」と強烈な違和感を抱いたと明かす。 その上で、「控訴審は8年くらいやっている。はけないズボンを何回も履かせている。なぜかというと関わった裁判官がみんな迷っている。客観的に見て正直言ってアテにならない、悪く言うとインチキ臭い証拠がたくさんある」との見解を示した。 村山もまた弁護団と同様にカラー写真に注目していて、「非常にわかりやすい写真で、これを見て弁護団も『本当にこんなに赤みが残るのか?』という疑問を持って実験したと思う。(カラー写真が)無かったら、(再審)開始自体が実現しなかった可能性も十分あると現状で思っている」と、開示された証拠のインパクトの大きさを感じている。
“再審法”の問題点
2024年1月27日。 この日、ひで子は福井県で開かれた死刑や再審について考える集会に招かれ、「母親も巖のことでは大変苦労し、大変つらい思いをして亡くなっていった。私はその苦労やつらさを見ていた。母が亡くなってから、兄には家族がある、姉には嫁ぎ先の両親もいる、私は独り身だったので、私がやるしかないと思って続けた」と言葉を紡いだ。 福井といえば前出の通り女子中学生殺人事件が起きた地だ。 この時はまだ再審開始が決まっていなかったが、同じく集会に参加した前川は「もう少し公正な裁判を、司法を、と国民世論で盛り上げていく姿勢も大切なのではないか」と悲痛な思いを口にし、ひで子は「長い間、刑務所にいて苦労されたと思う」と慮った上で、「巖も48年間刑務所に入れられ、いまだ拘禁症は治っていない。まともではない。それも、しょうがないと私は思っている。もう治らない、半分くらいしか治らないのかなと思っている。今でもまだ架空というか妄想の世界にいる。トンチンカンなことを言っている。でも、弟なので『バカを言うじゃない』とは言えないから『あぁ、そうかそうか』と言って同調している。“再審法”も早いところ欠陥があれば直して。今さら巖を元の体に戻せなんてことは言わない。巖が48年間刑務所にいたということを、何とかいい方法に利用してもらわなきゃしょうがないと思っている」と訴えた。 再審に関する規定が定められたのは今から100年前の1924年。 条文はわずかに19しかなく、審理の進め方については「事実の取り調べができる」とだけ書かれている。 元裁判官の木谷明は生前、戦後に刑事訴訟法の改正に携わった団藤重光から「前の段階の改正で精根尽き果てた。新憲法を早く施行しなければいけない中、あとの“再審法”までいじっている時間がないということで上訴と再審については旧刑事訴訟法の規定をそのままぶち込んだ」と聞かされていたことを明らかにし、「(団藤が)懺悔していた。だから再審法は不備なんだ」と話していた。