「“Jリーグのお荷物”って言われていた」ミスターレッズ福田正博が古巣の低迷期を回想! 結婚式では川淵氏からゲキ「どうにかしろ」
「チームはゴチャゴチャになっていた」
浦和レッズで長きに渡ってプレーした元日本代表FWの福田正博氏が、前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演。Jリーグ創成期における浦和での日々を振り返った。 【動画】ミスターレッズがJリーグ創成期を振り返る! 浦和は1992年の天皇杯で準決勝に進出したが、Jリーグ初年度となった93年は成績が上がらずに低迷。福田氏は、こう回想する。 「外国籍(の選手)が代わったけど、チームの状況がすごく悪かった。びっくりするぐらい。アルゼンチンの選手と上手くいかなくて。俺自身のコンディションも良くない。そのなかで巻き込まれた感じで、俺も思うようなパフォーマンスができなかった。チームはゴチャゴチャになっていた」 結局、アルゼンチン人選手はシーズン中に帰国。日本人選手だけでの戦いが強いられたこともあり、チームは年間最下位に終わった。ミスターレッズと称された男は、次のように話す。 「チームマネジメントが上手くいかなかったんだろうな。そのなかで俺ももがき苦しみながら、怪我もありながら、思うようなシーズンが1年目、2年目とできなかった。“Jリーグのお荷物”って言われていたからね」 翌年も苦戦が続くなかで、自身は結婚。その式の主賓を務めた川淵三郎氏(当時Jリーグチェアマン)から「どうにかしろ」と激励されたという。 浦和は94年も最下位となるも、翌95年は年間4位に躍進。福田氏は日本人初の得点王に輝いた。その後クラブはJ2降格とJ1復帰を経験し、2006年のJ1優勝や3度のアジア・チャンピオンズリーグ制覇を果たすなど、強豪への道を歩んでいく。 構成●サッカーダイジェストWeb編集部