元「子役」「ギャルモデル」の今。父が借金4000万円を抱え…大学を中退して“選んだ道”
幼少期から芸能界で過ごしてきた「子役」たち。しかし、大人になってからも成功できるのはほんのひと握りである。 芸能界の常識や価値観が、一般社会と異なることは言うまでもない。子役として過ごした後、現実との大きなギャップに悩んでしまうこともあるだろう。元子役はその後、一体どんな人生を歩んでいるのか? ⇒【写真】子役をやっていた幼少期の西さん 子役からギャルモデルに転身し、一般企業に勤める会社員を経て“起業”した西真央さん。決して順風満帆ではなかったが、現在はビジネスの世界で邁進中。今回は、その独特な道のりを紹介する。(記事は全2回の1回目)
「勝った者が正義」まさにサバイバルの子役時代
幼稚園の頃に芸能界へ入った西さん。家電量販店のパンフレット、ミュージカル、テレビドラマのエキストラやテレビCMにも出演していたという。きっかけは何だったのだろうか。 「私が『テレビに出たい』と親に言ったことです。親は『テレビに出るなら芸能人にならなきゃね』と、習い事として劇団に入れてもらいました」 彼女は以前からピアノなど他の習い事もしていたらしい。しかし劇団は、“普通の習い事”とは違うだろう。芸能人を目指す方法のひとつと言えるが、レッスンはつらくなかったのだろうか。 「日本舞踊、バレエ、発声練習、ダンス……たくさんの新しいことに挑戦するのは大変でしたが、つらくはなかったです。挑戦していくことで達成感を得て、価値観が変わっていくことが楽しかったですね」 とはいえ、楽しいことばかりではない。芸能界で活躍するべく、誰もが生き残りをかけて必死になっている。西さんは「サバイバルの厳しさも痛感した」そうだ。 「劇団では『私の方がかわいい』『私の方がスタイルがいい』という戦いが行われていました。派閥とかもありましたね。私は派閥には加わらず孤立していましたが……。 サバイバルの厳しさを痛感したのは、オーディションの時でしたね。たとえば、『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系列)という子どもがひな壇でしゃべる番組で、私を含む数名がオーディションに出た時のことです。そこでは、みんなかわいくてトークが面白い子ばかりが集まっていました。私は予選落ちで、負けて悔しい思いをしました。 他にも主役に選ばれるのは1人だけというミュージカルのオーディションで落ちたりもして、“勝った者が正義”という価値観が培われていきました。ここで勝ち残っていくのは難しいだろうな……と思い始めた矢先に、兄が交通事故で亡くなったんです。私が小学1年生の頃でした」