28歳でタオル工場を継いだ6代目の挑戦 職人の創意工夫を引き出した生産体制づくり
「泉州タオル」の生産地で知られる大阪府泉佐野市の神藤タオルは、110年以上にわたり伝統的な工法のタオルづくりを続けてきました。6代目の神藤貴志さん(38)は、先代の祖父の急逝によって28歳で社長に就任。ベテラン職人と品質にこだわった新商品の企画・開発に試み続けてきました。海外製品との価格競争に参入せず、問屋経由の商流に依存してきた販路を広げるため、設備投資や採用などの生産体制を整えながら、「インナーパイルタオル」や「2.5重ガーゼタオル」といったオリジナル商品を開発。デパートやセレクトショップにも並ぶ人気商品となりました。 【写真特集】下請けだけじゃない 中小企業の技術がつまった独自製品
大学3年で祖父に誘われ家業入り
神藤タオルは1907年、日本のタオル産業発祥の地とされる大阪府南西部の泉州地区で創業しました。タオルを織り上げた後で不純物を洗い落とし、漂白するためにさらす「後ざらし」という「泉州タオル」伝統の製法を継承し、地元の中核企業の1社として事業を続けています。 神藤さんは主に川崎市で育ち、中学・高校の時は大手都市銀行勤務だった父の転勤に伴い英国で暮らしました。父が神藤タオルを継がなかったこともあり、正月や夏休みに家族で帰省する時以外に、泉州やタオル業界について意識することはほぼ無かったといいます。 就職活動を意識し始めた大学3年生の夏ごろ、5代目社長の祖父・昭さんが神藤さんのもとを「話がある」と訪ね、ストレートにこう伝えてきました。「将来はどうするんや? お前がうちの会社を継がんのなら、会社をたたむ準備をしないとあかん」 その時点で特に将来やりたいこともなかった神藤さん。「わかった。そっちに行くよ」と答えました。「神藤」という自分の名前が入った会社がなくなることが「もったいない」と感じたことと、昭さんが特に生活に困っている様子もなかったことから、「会社が続けば普通に暮らせるだろう」と考えての回答でした。
「そこまで知らんでええ」
大学を卒業し、大阪市中心部から電車で1時間ほどの泉州の地に移り住んだ神藤さん。大阪弁とも少し異なる泉州なまりは当初、なじむのに苦労しました。 昭さんからは「まずは製造の流れを理解しなさい」と言われ、工場で働き始めました。一緒に働くことになったのは、当時60代後半だった工場長や40代のベテラン職人ら3人。営業や検品の担当者も含めると総勢12人前後の職場では、みな将来の後継ぎである神藤さんに対し、業務について懇切丁寧に教えてくれました。 ただ、聞けば何でも教えてくれたわけではありません。ある時に神藤さんが職人に製造機械の分解清掃について尋ねたところ、「そこまで知らんでもええ」と言われました。 職人は、いずれは神藤タオルの経営を担うことになる後継ぎが知っておくべき業務知識の範囲は「ここまでで大丈夫」と判断していたのだと、神藤さんは振り返ります。 昭さんは普段から細かい指示を出さなかったため、職人たちが現場で自主的に考えて判断する風土がありました。昭さんは職人たちと深い信頼関係を築き、現場のことは基本的に任せていたのです。