「路頭に迷いつつある都市」渋谷から見える日本社会の未来、カルチャーの行方とは? 社会学者の吉見俊哉さんとアーティストの宇川直宏さんが渋谷パルコで対談「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~
▽失われてしまった演劇的パワー 吉見さんが劇場の視点から渋谷の街を語った。 「70~80年代には、街と劇場が入れ子構造にあった。状況劇場の唐十郎(から・じゅうろう)さん、天井桟敷の寺山修司(てらやま・しゅうじ)さんや劇団黒テントが、劇場と都市の境界線を取り払い、セゾンカルチャーは都市を劇場化し若者を取り込んだ」 「芝居や舞踏は、演じ踊る“身体”をどこかで信じている。公園通りのパルコ劇場と小劇場『渋谷ジァン・ジァン』(2000年閉鎖)のような、なんだか人が集まってくるという“場所”の力を感じることで、演劇的なものが成立してきた。ところが1980年代半ば以降、都市にうごめく人々からそうした演劇的パワーが失われていく。それ以前から、身体が持つ個性や場所へのこだわりは徐々に失われていった。それは、都市全体がメディア化していく過程と表裏だったと思う」 かつて吉見さんの世代が心震わせた演劇隆盛の時代から、身体性や場所の属性を薄めるインターネットの時代へ。
宇川「ステージの中心にいる演者をあがめる文化ではなく、全員が登場人物である自立分散型のネットワーク的なコミュケーションが求められ、渋谷は演劇からクラブカルチャーに移行していったのだと考えている。90年代から2000年代へ、完全にネット時代に入ると、現在のようなリアリティーもアイデンティティーも複数存在していいという観念が生まれ、匿名での投稿もできるようになり、大衆が“国民総批評家”になっていった」 吉見「世の中全体がフラットでボーダーレスなネット時代に、パルコはどんな形になっていくのだろうか? かつてのパルコはアバンギャルドで、新しいカルチャーを扇動するような面があった。だから若者たちは公園通りの丘を上った。そこにパルコ文化があり、その手前にはジァン・ジァンの芝居小屋があった。ネットでつながり、どこでも同じとなってしまった今、若者は丘を上り続けるだろうか?」 ▽アメリカと五輪から脱却できない国