「路頭に迷いつつある都市」渋谷から見える日本社会の未来、カルチャーの行方とは? 社会学者の吉見俊哉さんとアーティストの宇川直宏さんが渋谷パルコで対談「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~
宇川さんは、主宰するドミューンで2010年以来、国内外のアーティストらとの対話や音楽ライブを日々動画配信(ストリーミング)している。活動の原点ともなった1980~90年代の“脱大衆化”の流れについて、後にパルコ劇場となる西武劇場が押し出したアンダーグラウンドの劇場文化の洗練、西武美術館から後のセゾン美術館によるマルセル・デュシャンやジャスパー・ジョーンズらの現代アート作品の普及、美術書専門店「アール・ヴィヴァン」が定着させた洋書のアートブックをたしなむ文化、レコードショップ「WAVE」が手がけた輸入盤レコード、ハリウッド資本ではない欧州などのアートフィルムを見せるミニシアター文化の隆盛…といった例を挙げた。 ▽街自体がアーカイブだった 70年代末に日本社会に転換期が訪れようとしていたと吉見さんは振り返る。 「79年に大平正芳(おおひら・まさよし)首相は施政方針演説で、これからの日本は経済から文化へ、東京集中から地方分散に方向転換すると宣言した。70年代末の時点で、日本は早くも東京集中はまずいと気づき始め、経済から文化へのシフトを考え始めていた。しかし、大平氏の急死後、中曽根政権は東京の再開発を大胆に進めるネオリベラリズム路線へと進んでいった。そして90年代、東京一極集中が止まらなくなった」
「さらに2000年代以降、日本経済が収縮していくなかで、人々は将来への不安からカネへの固執を強め、その結果、逆に日本は経済も文化も負のスパイラルに陥った」 その間に渋谷で起きた特異な状況変化を宇川さんが解説し、今なお語り継がれる渋谷系サウンドの由来にも触れた。 「バブル終焉(しゅうえん)期の1990年代に入っても、レアグルーブ(希少な音源)文化を先導した渋谷・宇田川町の輸入レコード店では世界中の貴重なレコードがたくさん手に入った。そこからフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴのようなユニットが現れ、さまざまな音楽をサンプリング(引用)した“渋谷系”というジャンルが生まれた。当時はインターネットが本格的に現れる前だが、渋谷にはインターネット的な文化プラットフォームとしての街の機能があった」 「独自のギャル文化、またヤマンバを極点とする“盛(も)りアイデンティティー”と、それに伴うギャル雑誌カルチャーも生まれ、今で言うインフルエンサーやインスタの加工アプリの源流もこの街を中心に発生したのは明らか。情報がこの街に集まり、新旧関係なく片っ端から新しいラベリングが施されて渋谷にアーカイビングされていた。ウィンドウズ元年と呼ばれた95年、iMac(アイマック)発売の98年を境に、インターネットが一気に大衆へ広がると、渋谷の街としてのパワーやアーカイブ性は衰えていった」