「路頭に迷いつつある都市」渋谷から見える日本社会の未来、カルチャーの行方とは? 社会学者の吉見俊哉さんとアーティストの宇川直宏さんが渋谷パルコで対談「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~
スクランブル交差点、センター街、スペイン坂…渋谷はさまざまなカルチャーや風俗を育て若者らを吸い寄せる。コロナ禍を経てインバウンド(訪日客)のにぎわいを見せる公園通りは、代々木公園へ向かうこの坂に1973年「渋谷パルコ」が開業したのを機に名付けられ、今年で50年となる。街の変遷を間近に見つめてきた吉見俊哉(よしみ・しゅんや)さん(66)と宇川直宏(うかわ・なおひろ)さん(55)の論客2人が、渋谷パルコ内のスタジオ「SUPER DOMMUNE(スーパードミューン)」で、実体験や都市論を踏まえて日本社会の未来を語り合った。(共同通信=内田朋子、後藤充) ▽路地から文化が消えてしまう 吉見さんは1982~89年頃、渋谷の道玄坂を上った円山町の近くに暮らしていた。ラブホテル街を抜けた神泉界隈、いまでは裏渋谷と呼ばれるエリアだ。近所に銭湯があり、芸者が歩いていた花街の空気に愛着を感じつつ、“劇場としての都市”を活写した著書「都市のドラマトゥルギー 東京・盛り場の社会史」を書いていた。が、やがて街はバブル景気のなかで急速に巨大再開発の波にのまれていった。
「今の渋谷の街をちっとも好きになれない。だいたい地下深いホームから地上に出るまで時間がかかる。スクランブル交差点は映像映えするだろうが、渡るときにワクワクする気持ちは全然ない。センター街はごちゃごちゃしていて疲れる。渋谷駅周辺に次々に建設されている超高層ビルには違和感しかない」 「そんななかで最近よく訪れるのは、渋谷川沿い。その川辺を復活させた渋谷ストリームのデザインは面白いと思う。東横線が地上から消え、渋谷川が身近になった。渋谷パルコは公園通りからは入らない。狭く曲がりくねったスペイン坂を上がり、そのまま路地の延長みたいな建物の外側のエスカレーターを4階まで昇っていくのが好きだ」 90年代の渋谷に最も思い入れが深いという宇川さんは、四国の高松市に生まれ育ち、当時から渋谷のタウン誌「ビックリハウス」などを通して80年代の“ユース(若者)カルチャー”情報にも親しんでいた。 「セゾングループの堤清二(つつみ・せいじ)さんが物質的ではなく精神的な豊かさに目を向け、“脱大衆化”を図ろうとした文化改革も肌で感じていた。巨大開発され他の都市と似通ったジェントリフィケーション(富裕化)が進む今の渋谷で、セゾンカルチャーの息吹を継承し、渋谷パルコ9階に位置するスーパードミューンというこの場所から、日本と世界の重要文化の神髄を発信し続けている」