閉館の新所沢パルコ、「郊外初パルコ」がもたらしたクリエイターとの絆
1983年開業の新所沢パルコは、パルコにとっても郊外初進出のプロジェクトだった。開業当初は、3スクリーンを備えた同館の商圏は広く想定されており、店舗数も120店舗と、閉館時の70店舗と比べるとだいぶ小間も小さく区切られていた。ただ、西武線沿線の開発が進むと、徐々に商圏は小さくなり、今のような地元型のSCへと変化した。閉館キャンペーンソングを手掛け、2019年以降は年始イベントに参加してきたシンガーソングライターのCUTIEPAIの「まゆちゃん」は、「いろいろな商業施設でイベントやライブをやっているけど、雰囲気もお客も独特です。たまに仕事以外で来て共有スペースに座っていると、いろんなおばちゃんやおじちゃんが普通にこの前家買ってさあ、とか話しかけてくるんですよ。関西だとあるあるかもだけど、関東だとなかなかない。福井県眼鏡協会公認のメガネ大使もやっているんですが、新所沢パルコのメガネ店の店長さんに挨拶に行くと信じられない力でハグをしてくるし、毎年送った年賀状を店内に飾ってくれる。すごく嬉しいけど、マネージャーの連絡先が丸出しなので、個人情報が漏洩している…と心の中でいつも思ってました(笑)。この独特な雰囲気は新所沢パルコが生み出したものなのか、土地柄なのか。それはずっとわからないまま。もうあまり来ることもなくなるかもしれないと思うと、とても寂しいです」。
そんな新所沢パルコを象徴するテナントの一つが、東京テアトルの運営する「新所沢レッツシネパーク」だ。相撲の枡席のような多人数型のボックスシートや電動フルリクライニングシートといったユニークなサービスがあり、実際にコロナ禍前にはボックスシートにこたつをおいた「こたつシート」がSNSでばずったこともある。それ以上にパンチがあるのが、シネパークの名物にもなっている館内に置かれたオブジェたちだ。段ボールと廃材で作った映画の登場人物に合わせた人形は、ちょっとした劇団の美術セット並みの物量とクオリティーがある。だが、これは「一人の現地採用のアルバイトが勤務時間の合間に作っている」(吉川敦夫・支配人)というから驚きだ。「消防法とか、そういった商業施設として絶対に守らなければならないルール以外は、何も言ってこないおおらかさがあった。当社で運営している他のミニシアターでもこれができるか、と言われれば難しいと思う」と語る。