東京国際映画祭を変えた安藤裕康チェアマンは元外交官にして「銀髪の映画青年」だった
映画の町の大文化イベントへと変貌
チェアマン就任後の成果としてまず目につくのは、会場を六本木ヒルズという限られた場所から銀座、日比谷、丸の内地区という伝統的な映画の街に替え、ショッピングやグルメ、文化イベントまで楽しめるようにし、映画ファンだけでなく、日本を訪れる世界の人々に日本の全てを味わう21世紀型クロスオーバーㆍカルチュラルㆍイベントに「ドラマチックㆍチェンジ」を図ったということ。これで「東京国際映画祭は知っているが、どこでやっているのか分からない」という皮肉は消え、アジア諸国の人々の間に「国際映画祭を楽しみに東京に行こう」という声さえ聞こえるようになってきた。 これだけではない。かつてスカラ座、テアトル東京、並木座など東京の名画の殿堂を駆け回った「銀髪の映画青年」は、今この瞬間にも日本映画の輝かしい伝統を総括しながら若い日本映画人を育てるとともに、「インクレディブル」という表現が似合う国際専門家としての能力を発揮し、東京国際映画祭を「アジア圏域の文化拠点」として発展させる遠大な計画を着々と実行しつつある。いずれ同映画祭の正式出品と受賞が、3大映画祭に負けない「一生の栄光」になる日が来るはずだ。 11月3日午後4時ごろ。普通の人の数倍の人生を地球的次元の思考と視線で眺めるこの途方もなく大きな人物のインタビューを終えた感動。スタジオであいさつを交わした時、「カントリージェントルマン」の姿を見せながらコーヒー1杯と一緒に受け取った名刺のメールアドレスに、予定よりも長くなったインタビューで情熱を披露した安藤チェアマンに送った感謝のメール、いやファンレターに筆者は次のような一節を書いた。「私もチェアマンが書かれていく歴史の一部になりたいものです」。しかし、今思えば間違った文章だったかもしれない。筆者は自分も知らないうちに、すでにこの「Cavaliere di Cultura(文化の騎士)」が作っていく巨大な歴史の中にいるのかもしれない。
洪相鉉