日本人初「国際山岳医」となった女性医師 「登山者が生きて帰る」を支える
■名物教授訪問@日本大学
日本人初の「国際山岳医」である大城和恵さんは、登山者の安全を守るためにさまざまな活動に取り組んでいます。2022年には日本大学病院に、遭難予防のための「登山外来」を開設しました。自分が大好きな山登りをきっかけに、「山岳医」という新しい分野を切り開いてきた道のりを振り返ってもらいました。 【写真】テントで登山者を診察する大城和恵さん
山は、平地とは気候も環境も違うため、高山病や低体温症、転落・転倒など山特有の病気やけがが発生します。すぐに救急車が来ないうえに検査や治療に使える機器も限られている中で、処置をしなければなりません。こうした山で起こる病気やけがを対象とした医療を、予防や治療も含めて「山岳医療」と呼び、専門的な知識や技術を身につけて山岳医療を実践しているのが「山岳医」です。 大城さんは、山が身近にある長野県で育ちました。大学に入学してから本格的に登山を始め、その魅力にとりつかれ、キリマンジャロ、マッターホルン、デナリ、エベレスト…と次々挑戦していきました。 2008年41歳のとき、ヒマラヤを登山中にひどい高山病にかかった日本人に遭遇し、すでに医師だった大城さんは看病にあたりました。水を分け与えて、呼吸法を指導するなどして無事に下山できましたが、「自分なりに対処したものの、『もっと病気のことを知って自信を持って対応できればよかったのに』と後悔しました」と振り返ります。 山岳医療を専門的に勉強したいという思いが強くなり、2009年にイギリスのレスター大学の専門コースに進み、翌年、「国際山岳医」の資格を取得しました。これは国際規格の学位のようなものです。いまは日本にも国際カリキュラムに沿った制度があり、資格も得られますが、当時はまだありませんでした。
「登山者が生きて帰る」を支える
現在は1年のうち数カ月を山で過ごしているという大城さん。夏は富士山の救護所に駐在して診療をしています。また、北海道警察や長野県警察などでも山岳遭難のアドバイザーを務め、共にトレーニングをしたり、遭難現場救助隊に医療アドバイスをしたりしています。 遭難の原因はさまざまですが、大城さんが住む北海道では、山における最も多い死亡原因は低体温症です。これは1年を通して気温が低い北海道の特徴と言えます。低体温症の人に対する科学的根拠に基づいた最も有効な治療は、「低温環境からの隔離」「保温」「加温」です。しかし、遭難現場では、何でもそろっている病院のようには対処できません。 少しでも雪雨風を避けられる場所に移して、お湯を詰めた水筒を湯たんぽ代わりにしたり、低体温症の人を入れた寝袋全体をブルーシートで覆って熱が外に逃げないようにしたりと、通常の登山で使うものを利用して効率よく温めていきます。 山岳医療で大事なのは、救助隊の人たちとの連携です。大城さんが「医学的にはこういう処置が有効です」と伝えると、救助隊の人たちが「現場にあるものでこんなことができます」と知恵を出してくれるそうです。 「以前、訓練で『湯たんぽにする水筒は、体と接する面(表面積)ができるだけ大きいほうが効果は高い』と話したら、翌日の訓練で、『平たい袋状の水筒で湯たんぽ作ったんですが、とても有効でした。それを使ったらどうでしょうか』と提案してくれました。実際にボトルタイプよりもずっと効率的に温めることができ、それ以来、現場で役立てています」 設備や道具が限られている中で、さまざまな立場の人がみんなで知恵を出し合って、命を助けるために力を尽くす――。山ならではの人と人とのつながりを感じられるところが、山岳医療の醍醐味と言えるかもしれません。 山では、同じ道具を持っていても、活用する方法を知っていれば助かるし、知らなければ命を落とします。だからこそ自分が持っている知識や技術、山で活動する中で得られた新たな知見はより多くの人に伝え、活用してもらいたい。そう考える大城さんは、積極的にインターネットで発信したり、一般登山者向けの勉強会や救助隊の講習会に参加したりするなど、啓発活動に力を入れています。さらに、論文にして海外の学会で発表するなど、「医学」として残していく努力もすることで、山岳医療の発展に寄与しています。