「次の社長は創業家一族から出さない」/日本に明太子を生んだ企業、5代目社長の深い「博多愛」 ~ふくや後編
終戦直後、日本で初めて明太子を商品として売り出したとされる、福岡・博多の老舗明太子店「ふくや」。5代目の川原武浩氏は、明太子の販路拡大にとどまらず、地元・福岡で焼酎製造元やホテルなどの再生を次々と手がける手腕の持ち主だ。後継は「創業家からは出さない」と明言する武浩氏の人生と深い「博多愛」を聞いた。 【動画】日本に明太子を生んだ企業「ふくや」の経営手腕と「博多愛」とは?
◆サッカー、演劇から経営へ
中学時代、サッカーに熱中した武浩氏は、高校生になると演劇部に入部。 「いろんな人間がかかわって一つの成果を出す」というサッカーにも似た魅力を感じ、夢中になります。 上京して國學院大學を卒業すると、演劇の世界で生きていきたいと考え、ロンドンで芝居の勉強を始めました。 当時は「実家を継ぐなんて、まったく考えていなかった」そうで、お父様とも話がついていたそうです。 イギリスから帰国後、1998年に九州最大級の演劇専用劇場「博多座」に入社。 当時、ちょうど博多座がオープンするタイミングで、「地元で演劇の仕事ができる」と飛びついたといいます。 ところが2004年には「招集された」形でふくやに入社。 武浩氏いわく、サッカーに例えると「試合に出られるとは決まっていないが、とりあえず戻ってこいと言われた」状態だったそう。
◆経営者になるためのスパルタ教育
武浩氏は経営コンサルタントのもとで2年間、経営者になるための修行をすることとなります。 修行の2年間を無事に終えると、いきなり「子会社を任せるから黒字化してこい」という指令が下ります。 そこで任されたのが、ホテルと福岡最大級のホールの複合施設「福岡サンパレス(※当時の名称)」。 元々は第三セクターの経営でしたが福岡市から毎年多額の補助金注入は必要なほど経営状況が芳しくなく、ふくやが経営を引き受けることになったのでした。
◆赤字企業をわずか2年で再建
赤字だった福岡サンパレスを、武浩氏は社長就任2年目で黒字化します。取り組みは主に3本の柱で進められました。 1.“一人二役”でマルチタスクを行うこと 2.どの事業が黒字でどの事業が赤字なのかを突き止めること 3.ホテル事業を強化すること 武浩氏が「とんち」と評するのが、3つ目の「ホテル事業の強化」です。 事業構造を分解してみると、ホテルが事業の柱になっていることがわかりました。 しかし施設の名称は「福岡サンパレス」で、ホテルの認知度は高くありません。 そこで施設名を「福岡サンパレス」から「福岡サンパレス ホテル&ホール」に変更。 コンサートの主催者にも、イベント宣伝時に「福岡サンパレス ホテル&ホール」と呼んでもらうことにしました。 これが大きな広告効果を生み出し、ホテルの認知が拡大していったのです。 さらに武浩氏は、攻めの経営に打って出ます。 歓楽街・中洲に、ホテル直営のケーキショップ「ホテルパティスリー ufu」を出店。 深夜営業を行うほか、長さ55.5センチの「博多 中洲ロール」をはじめとした、パーティーや差し入れを意識した品ぞろえが強みです。