終戦の日 天皇陛下のおことばを振り返る 坂東太郎のよく分かる時事用語
8月15日は「終戦の日」。今年も「全国戦没者追悼式」が開かれます。天皇陛下は即位以来、必ず臨席して「おことば」を述べられ続けてきました。それも今年が最後。2019年4月30日に退位されるからです。この式典も含め、平成の時代に天皇陛下はどのような思いを持って出席してきたのでしょうか。これまでの「おことば」や記者会見などの発言から振り返ってみたいと思います。
「忘れてはならない4つの日」
宮内庁のサイトに「忘れてはならない4つの日」が示されています。6月23日の「沖縄慰霊の日」、8月6日の「広島原爆の日」、同月9日「長崎原爆の日」、同月15日「終戦記念日(終戦の日)」です。今上天皇が皇太子時代に述べたとされる「どうしても記憶しなければならないことが4つある」と重なり合うのです。 沖縄は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月1日に本島に米軍が上陸し、激しい地上戦が展開されました。6月23日は事実上の戦闘が終わった日。約12万人以上と推計される「ありったけの地獄を集めた」戦いでした。勝った米軍がそのまま占領し、1952年のサンフランシスコ講和条約発効で、本土が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領から解放されて独立しても、沖縄はそのまま。1972(昭和47)年にようやく返還された歴史を持つのです。 広島と長崎は、説明不要でしょう。日本は世界で唯一、原子力爆弾が実戦で投下され、広島で約14万人が、長崎では約7万4000人以上がそれぞれ死亡した(1945年12月末まで)と推計されています。 8月15日は、前日の「ポツダム宣言」受諾決定を告げる詔書を昭和天皇が朗読した録音盤がラジオで一斉放送された日。この日を日本は「終戦の日」と呼んでいるのです。 今上天皇は「4つの日」の場所である沖縄、広島、長崎などを訪問、慰霊してきました。最近では戦前に委任統治した南洋諸島や旧日本軍が進駐したり一時占領したりした海外にまで足を運ばれました。 天皇陛下はどのような思いで戦没者の追悼に臨まれているのか。2006(平成18)年の誕生日記者会見で次のように話しています。 「戦没者の追悼は極めて大切」「戦闘に携わった人々も、戦闘に携わらなかった人々も、国や国民のことを思い、力を尽くして戦い、あるいは働き、亡くなった人々であり、今日の日本がその人々の犠牲の上に築かれていることを決して忘れてはならない」 「戦後に生まれた人々が年々多くなってくる今日、戦没者を追悼することは自分たちの生まれる前の世代の人々がいかなる世界、社会に生きてきたかを理解することになり、世界や日本の過去の歴史を顧みる一つの機会となることと思います。過去のような戦争の惨禍が二度と起こらないよう、戦争や戦没者のことが、戦争を直接知らない世代の人々に正しく伝えられていくことを心から願っています」 地方へのお出ましは、毎年開催地が異なる「全国植樹祭」「全国豊かな海づくり大会」および「国民体育大会」(いわゆる「三大行幸啓」)に臨席した際の視察という形で行われるケースが多く、他に1995(平成7)年は「戦後50年」として沖縄、広島、長崎に訪れています。